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ロータス・カルテット コンサート・レヴュー


シュトゥットガルト モーツァルト・ザール(リーダー・ハレ)でのXmasコンサート 
2012年12月26日
シュトゥットガルター・ツァイトゥング紙 2012年12月28日付
記事:マルクス・ディッポルト


‘儀式’の多くは決して手を付けるべきでない
ロータス・ストリング・カルテットがシュトゥットガルトのモーツァルト・ザールでバッハからシューベルトまでをカバーするプログラムを演奏今年は‘上昇’がロータスのXmasコンサートにおけるモットーであった。クリスマス休日の2日目に、今回も満席となったモーツァルト・ザールにこの日本にルーツを持つカルテットが登場するのも、コンサートの最後にシューベルトの『鱒』が演奏されるのも伝統となっている。コンサート前半が変化に富んだプログラムであることもまた伝統と言え、今回この前半プログラムは、アンサンブル編成を‘上昇’(拡張)させていくよう企画されていた。

この日のスタートを切ったのはロータスのチェリスト齋藤千尋で、ヨハン・セバスチャン・バッハの『無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調』を演奏。室内楽のコンサートとしても、これは異例のパーソナルな印象のスタートである。しかし齋藤の持つ資質によって実に魅力的なスタートとなっていた。齋藤はことさらに抑えた、控えめな音を選び、それが繊細さと優雅さを際立たせ、それによって洗練された形で表現されている舞曲の伝統が強調されている。

残念ながら次の曲では、奏者の数は‘上昇’したものの質は明らかに下がってしまった。ベートーヴェンの初期の作品をきくと、形式をめぐる彼の格闘が、決まりきった古典主義的なものから個の芸術へと発展するいまだ途上にあることに気づかされるが、それはこの『ピアノ三重奏曲作品1のハ短調』についても例外ではない。残念ながら3人の奏者は、ところどころ説得力に欠けるこの形式に対してインスピレーションに満ちた音楽づくりをするまでには至らなかった。特にヴァイオリンのマティアス・ノインドルフはイントネーションに何度か難があり、幾つかのパッセージで技術的な正確さを欠いた。他方でチェロの大御所ペーター・ブックは手慣れた演奏ぶりにやや過ぎた感があった。

これらの難点は次のハイドンの『四重奏曲ニ短調作品76』ではすっかり払拭されていた。この日のプログラムでは唯一ロータスのメンバーだけで演奏した曲である。出だしからぴんとした緊張をみなぎらせ、エネルギーに満ち溢れた演奏を繰り広げた。第1ヴァイオリンの小林幸子は、極めて速く弾かれた最終楽章のそれぞれ明確に区切られた主題を持つ技術的難度の高い第1楽章で、他の3人を軽快なテンポでリードしていた。

すると、プログラム後半には‘質の上昇’が最高点に達する。それがシューベルトの『鱒』(ピアノ五重奏曲)であった。この作品には音楽の歴史を見て取ることができる。つまり、ベートーヴェンが室内楽における形式上の試みでどんな方向を目指していたのかということや、或いは‘第1ヴァイオリン優位’から‘全ての楽器の平等’へ変えようとしたハイドンの構想がどう実現されているかという点においてである。
5つの楽章全てがシューベルト以前の作曲家の作品よりも明らかに規模が大きく、モティーフと主題の扱いは、ロマン派の交響曲にみられるのと同様にはっきり際立っている。そして変化に富んだインストゥルメンテーションとなっており、それは特に中核となる変奏楽章で極まっている。決定的に重要な役どころであるピアノのコンラート・エルザーを別にすれば、技術的に特に多くを要求されるのはヴィオラの山碕智子と、何といってもヴォルフガング・ギュトラー(コントラバス)の二人である。輝かしく、観客の歓声に包まれたクライマックスとなった。




ダルムシュタット・エコー紙 2012年10月16日付

モーツァルト・チクルス最終コンサート 2012年10月14日
会場:ダルムシュタット、カロリーネン・ザール(ヘッセン国立公文書館)

繊細な感覚で
ロータス・ストリング・カルテットが多様なモーツァルトを演奏

ロータスは躍動感溢れる奏法と生き生きと豊かな響きで、カロリーネン・ザールの聴衆を熱狂させた。

ロータスの登場にあたり、カロリーネン・ザールの座席はほとんど完売の状態であった。五回にわたるモーツァルト・チクルスの最終夜にあたる当コンサートで、小林幸子(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、齋藤千尋(チェロ)ら日本人三人とシュトゥットガルト出身のマティアス・ノインドルフ(ヴァイオリン)で構成されるこのカルテットは5年前にスタートしたシリーズに輝かしい終止符を打った。
 既に確立した評価を得ているロータスはこの冬結成20周年を迎える。過去には「ダルムシュタット城の室内楽コンサート」の企画として、ベートーヴェンとシューベルトのチクルスをそれぞれ開催している。
 この夜のコンサートは、モーツァルトのカルテットの中でも最も独自性の強い作品のひとつ、ハイドンに献呈された『弦楽四重奏曲変ホ長調KV428』で幕を開けた。曲は一風変わった漠とした雰囲気で始まった。そして調和的な和声でヴェールに包んだかと思うと、思いがけぬ不協和音でもって不意をつく。4人は耳をそばだてて互いに音を合わせ、透明で絶妙に均衡のとれたアンサンブルの中に秘密に満ちてほの暗い、不気味とさえ言えるような雰囲気を創り上げた。また、並外れて暗く陰鬱で、執拗な反復を持つ第2楽章アンダンテにおいても、憂愁の情を豊かに表現していた。第3楽章メヌエットでは臆することなく足を強く踏み鳴らすようなアクセントをつけて演奏。このメヌエットは、誇示するように鳴り響く箇所と洗練された優雅さとが交互に現れ、極めて魅力的なコントラストを成していた。最終楽章はハイドンへの実に色彩豊かなオマージュとなった。躍動感を強調しつつ、モティーフについての豊かなひらめきを存分に展開し、同時に深い思索をもってこの和声構造を持つ複雑な演奏に全霊で取り組んでいた。
『弦楽四重奏曲ニ長調KV499』においても、ロータスは鋭く繊細な感覚でもって突如気分を一変させ、何の気配もないところから雰囲気を暗転させた。エネルギッシュな音で、曲に舞台作品をも思わせるような立体感を与えていた。心奪う躍動感で演奏された第2楽章メヌエットは、特にこの夜のクライマックスのひとつであった。
休憩後にヴィオラのグンター・トイフェルを加えて演奏されたモーツァルトの『弦楽五重奏曲ハ短調KV406』では、見事なまでに生き生きとした豊かな響きが展開された。緊張をはらんだ合奏が持つ高密度なエネルギーが素晴らしいのはさておいても、この曲ではしなやかに歌う響きが何より感動的であった。




オーベルストドルフ・ミュージックサマー 2012年8月12日 
会場:イズニー城(ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルグ州)

どの音も形のよい真珠のごとく
ロータスはまるでほんの少し宙に浮いるのではと感じさせる軽やかさ


シュトゥットガルトのロータス・ストリング・カルテットは最も優れた器楽アンサンブルのひとつに数えられる。日本にルーツを持ち、ドイツ古典派やフランス印象派の室内楽曲に専心取り組んできた。更に、日本の現代作曲家や新ウィーン楽派の作品も手掛ける。第20回オーベルストドルフ・ミュージックサマーに招かれたロータスは、日曜の夜イズニー城内レフェクトリー(注:修道院などの食堂)において、モーリス・ラヴェル、ゲオルグ・P・テレマン、ベンジャミン・ブリテン、アントン・ライヒャの作品を演奏した。

同音楽祭と同じく結成20周年を迎えたロータス・カルテットは、初期の頃よりこの国際フェスティバルと、そしてその芸術監督であるペーター・ブックと緊密なつながりを持ってきた。それはイズニーとも同様であるのだが、当地で演奏したのは6年前が初めてであった。音楽祭マネジャーであるロザリンデ・ブランダー=ブックはロータスを紹介するにあたって、あの中世イタリアの聖女、シエナの聖カテリーナの「始めることで報われるのではない、耐えてやりぬくことだけが報われるのだ」という言葉を引用している。そのメンバーとは、ヴァイオリンの小林幸子、ヴィオラの山碕智子(共に大阪出身)、齋藤千尋(神奈川)、そして2005年から第2ヴァイオリンを務めるシュトゥットガルト出身のマティアス・ノインドルフである。客演ソリストとしてロシアのオーボエ奏者イヴァン・ポディオモフが加わり、ラヴェルの『弦楽四重奏曲ヘ長調』の憂愁の世界を引き継いで、テレマンの3楽章からなる『無伴奏オーボエのための幻想曲第6番イ短調』を演奏した。2011年ミュンヘン国際音楽コンクールを含む数々の国際コンクール受賞歴を持つポディオモフは、高難度の対位法のさばき方のお手本となるような演奏を披露。どの音ひとつをとっても形の良い真珠を思わせるものであった。

1902〜1903年に作曲されたラヴェル唯一の弦楽四重奏曲作品35は大きな称賛を巻き起こした。この作品はクロード・ドビュッシーがその10年前に書いた弦楽四重奏曲作品10とのつながりが強く、そのことはラヴェルが自曲で採用した楽章構成と調性の変化に反映されている。第1楽章アレグロ・モデラートでは、結晶のごとくカットされた貴石が瞬間きらめきを放って回転するかの印象。続く第2楽章は舞踊のリズムとピツィカートを効かせ、伝統的な楽章の形に反してスケルツォとなる。ロータスはここで羨ましいばかりの軽やかさを発揮した。まるで4つの楽器が常に数センチ宙に浮いているのかのようである。しかも地上とのつながりは保ちながら。これには、それぞれの楽器の響きの質が高いことに加え、考え抜かれた演出によるアンサンブルであることが大きい。別世界に引き込まれたように聴衆は感じたが、それには会場であるレフェクトリーの音響の良さも寄与していた。

ブリテンの初期に書かれた『オーボエと弦楽トリオのための幻想曲作品2』がなぜプログラムに選ばれたについては、この作品とロータスが1990年代に師事したメロス弦楽四重奏団との緊密なつながりから説明できよう。行進曲風のリズムが曲を通して繰りかえし刻まれる中、オーボエが抒情的で神秘的な旋律を奏でていった。弦楽器は前衛的でややも難解な方向へ走ろうとするが、オーボエがそれを和らげ、しまいには手なずけてしまった。弦は底部では不穏に鳴り続けてはいたのではあるが。「あのブリテンの始まりにはびっくりさせられたが、終わり方にも同じくらい驚いたよ。」とは、休憩中に聞こえてきた聴衆のコメントである。
それに比べると1821〜1826年に作曲されたアントン・ライヒャの『オーボエと弦楽のための五重奏曲ヘ長調作品107』は、ずっと穏やかなものだった。その構成は初めて聴く耳にはどっしりしたものであるように響いたが、すぐに第1楽章アレグロでオーボエと弦楽器による繊細なデュエットの展開となった。ここでも再び軽やかな浮遊感を感じさせつつ、それがまた活気に満ち、重みを増していくメヌエットとロンドの楽章を作り上げていった。

シュヴァーベン新聞2012年8月14日付
記事:バベッテ・ツェーザー




ルートヴィヒスブルク城音楽祭 2012年7月1日
会場:ルートヴィヒスブルク城(シュトゥットガルト近郊) オルデンスザール

曲目:
ロッシーニ:弦楽四重奏曲第2番 イ長調
R・シュトラウス:弦楽四重奏曲 イ長調
ヴェルディ:弦楽四重奏曲 ホ短調

明るい響きと、技巧備えたテンペラメント
ロータス・ストリング・カルテットが
ルートヴィヒスブルグ城音楽祭で珍しい作品を演奏


 
音楽祭には意外な発見がつきものだ。先日の日曜日、ルートヴィヒスブルク城のオルデンスザールでロータス・ストリング・カルテットが演奏したのは、全てオペラ作曲家の室内楽曲である。この日本人とドイツ人からなるカルテットは結成20年を迎えるが、その探索欲と熱のこもった全身全霊の演奏によってメロス弦楽四重奏団の主たる後継者のひとつと目されている。この夜演奏された3曲は、作品の意義が軽いものから順番に並べられた。
 ジョアキーノ・ロッシーニがまだ12歳の時分に『6つの四重奏ソナタ』の中の一つとして作曲したイ長調のカルテット(原曲は低音部としてチェロとコントラバスを使用)では、ロッシーニらしい音色はまだ聴くことができない。前期古典派的なホモフォニーによる、ごく平易なつくりではあるが、この3楽章のみの曲はウィットに富み優雅な響きで聴衆を包んだ。第1ヴァイオリンの小林幸子はエンジンがかかるのに少し時間を要したが、技巧豊かなテンペラメントと輝くような響きで全体を統率する役目をしっかりと果たした。それは、この第1ヴァイオリンに頼った幼い作品においてのみならず、そもそもアンサンブルの中で彼女がいつも果たす役割である。
 リヒャルト・シュトラウスの方は、彼がイ長調の弦楽四重奏曲を書いた時、既に16歳のギムナジウムの生徒になっていた。この曲でシュトラウスは燃えるような野心と溢れる才能でもって、4楽章からなる古典派の楽章構成に挑んでいる。完全にウィーン古典派流で、シュトラウスが後に書いたオペラが持つ音色の兆しはまだ見られない。曲は美しく響き、しっかり引き締まったポリフォニーな作りであるが、ロータスの質の高い演奏にも拘わらず、この曲がシュトラウスの後の作品の持つ洗練された響きにはまだほど遠いことを聴く者に感じさせる。それでも第2楽章スケルツォは極めてオリジナルな響きを持っていた。第3楽章アンダンテは、しっかりと歌い、かつ品があって軽やかな齋藤千尋のチェロの音色によく合っていた。サロン風に流れそうなものだが、しかし齋藤は見事にそれを避けるすべを心得ていた。
 マティアス・ノインドルフとヴィオラの山碕智子は外声部(第1ヴァイオリンとチェロ)を受け持つ2人よりもやや控えめに、往々にしてより淡々と弾いているが、それは時にほんの少しより精確であり、より節度あるということでもある。これはジュゼッペ・ヴェルディの弦楽四重奏曲を聴いてわかったことだ。ヴェルディ自身はこのホ短調のカルテットを、「ドイツ」室内楽に対する云わば密かなオマージュととらえていた。しかしながらこの曲からわかるのは、ヴェルディが「学問的な」技術をフーガに至るまで完全にマスターしていたことだけではなく、オペラの人物描写を得意としたこの作曲家の旋律の独創力である。更には、この曲はヴェルディが弦楽器を知りつくし、また愛していたことの証しであり、そのことが演奏者に喜びとして伝わっていくのである。
 ロータスは長い拍手に応えて、アンコールとしてプッチーニの『菊』をまことにオペラ風に、そしてモーツァルトの初期のアダージオを古典的明快さでもって演奏した。

シュトゥットガルター・ツァイトゥング紙 2012年7月3日付   
記事:マルティン・ベルンクラウ



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