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ロータス・カルテット コンサート・レヴュー


コンサート〈ミュージカル・サマー〉
プフォルツハイマー・ツァイトゥング紙 2016年9月27日付
評:エッケハルト・ウーリッヒ

ロータス・ストリング・カルテットが〈ミュージカル・サマー〉に客演 


リエンツィンゲンのフラウエン教会における今年の〈ミュージカル・サマー〉は、最高の弦楽カルテットによる演奏で幕を閉じた。ハイドンの弦楽四重奏曲ニ長調《ひばり》作品64-5は、第1楽章アレグロ・モデラートの美しい旋律によって楽しかった夏に別れを告げる挨拶であるばかりでなく、第1ヴァイオリンが楽しげに歌い出す《ひばり》の歌の存在により、カルテットの第1ヴァイオリン奏者として本物であればその資質を発揮する絶好の機会でもある。
そして小林幸子(第1Vn.)にとってもその通りであった。マティアス・ノインドルフ(第2Vn.)、山碕智子(ヴィオラ)、齋藤千尋(チェロ)ら仲間の伴奏に乗り、弾くことをひたすら楽しむかのように、美しい音を響かせて思う存分出し切っていた。一部で暗い翳りを感じさせる第2楽章アダージオ・カンタービレにおいても第1ヴァイオリンの高い資質が要求された。軽快なテンポのメヌエットである第3楽章では、どちらかというと4人の奏者全てが同等のバランスで作り上げることが求められ、そして快活な最終楽章で求められるのは全声部が力強く一本の奔流へと合流していくことであったが、これはそこで生気溢れる演奏を見せたロータスの奏者たちがまた得意とするところである。
続いて演奏されたベートーヴェンの弦楽四重奏曲ヘ長調作品135も『ようやくついた決心』という添え書きによって知られるようになった。ロータスは早くも第1楽章アレグレットで、ベートーヴェンの予告する内面的な劇的緊張を悲劇的な基調で浮かび上がらせた。そして第2楽章ヴィヴァーチェを甲高い調子で、ワルキューレの騎行を思わせる激しい狂乱へと高めていった。重苦しく底知れぬ深さを湛えた葬送曲(第3楽章レント・アッサイ)がそれに続き、そして最終楽章で謎めいたピツィカートのパッセージにより終わりを迎えた。
シューベルトの弦楽四重奏曲《ロザムンデ》イ短調作品29/D804の演奏がロマン派の音色が醸す哀愁を漂わせ、多くの聴衆を集めたこの日のマチネーは全てがそろった完璧なものとなった。第2楽章アンダンテは夢見るように歌う演奏が素晴らしく、その有名な旋律がロータスによってしみじみと奏でられた。




音楽現代 '16. 5月号



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リエンツィンゲン〈ミュージカル・サマー〉最終コンサート2015年9月20日

リエンツィンゲンのフラウエン教会でカルテットの至芸

2015年の〈ミュージカル・サマー〉を締めくくるコンサート。ロータス・ストリング・カルテットの演奏後には安らぎと宥和が残った。

 先の日曜日、弦楽四重奏における傑作3曲で、リエンツィンゲンの今年のコンサートシーズンが幕を閉じた。国際的に著名なロータス・ストリング・カルテットが再び今年も招かれた。小林幸子(ヴァイオリン)、マティアス・ノインドルフ(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、齋藤千尋(チェロ)ら4人の演奏家はこれで8度目の出演となるが、今回のマチネーをヨーゼフ・ハイドン後期の《弦楽四重奏曲作品77−1ト長調》でスタートさせた。いかにもハイドンらしい第1楽章の小気味よく愉快な出だしは、すぐに細やかに感情を通わせる四重奏となる。第2楽章アダージォでは、その明快な主題が極めて強靭に、そしてこの楽章を貫く大きな流れをしっかりと感じながら演奏され、そこには思いもしなかった深さが表れでていた。それはまるでユーモアに富んだ巨匠と思われることの多いハイドンが、その長い人生の最後に、彼の創造の源泉がいかに計り知れぬものであったかを我々に示そうとしたかのようである。4人の奏者はその泉へと深く迫り、そしてプレストで書かれた終わりの2楽章をいよいよ喜びに溢れ、軽やかに演奏した。特に第3楽章メヌエットのトリオはテンペラメントに溢れていた。
 ベートーヴェンの《弦楽四重奏曲第10番作品74》は、ハイドンが亡くなった1809年に作曲され、《ハープ・カルテット》の名でも知られている。この曲でもロータスは緩徐楽章を作り上げる名手であることを示した。独特の半音階を持つゆっくりとした導入部からして既に雰囲気たっぷりで、迫りくるアレグロへの予感に満ちたものになっていた。そのアレグロは全く突然に、そして力強く始まる。しかしそこから現れてくるのは、ベートーヴェン初期の作品の第1楽章に見られる目標へ向かって邁進する姿ではない。そうではなく、ここでは個々の楽器が完璧なポリフォニーの中で溶け合い、完全に一体化した響きとなっていくのだ。4人の手元で、‘ハープ’の名の由来となった特徴あるピッツィカートが生気あふれるリズムの中できらめきをみせた。ロータスは極めて丁寧に心をこめて旋律を形作り、それが短調のパッセージが持つ独特な色彩と相まって、第2楽章アダージォ・マ・ノン・トロッポは静かな中にもこのコンサートのひとつのクライマックスとなっていた。続いて第3楽章プレストが疾走するテンポで始まり、これは更にプレスティッシモへと高まる。この第3楽章は‘トリオを持つスケルツォ’から一般に想起されるものとはかなり違っている。激しい雷雨の後のように、この楽章は潮が引くように静まってゆき、そしてそのまま最終楽章アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニへと流れ込む。たおやかでシンコペーションのきいた主題で始まるこの楽章で、またしてもロータスは形式を深く洞察し、細部に至るまで意義深い形に作り上げるその資質の全てを示したのだった。曲は結末に向かって劇的に登りつめると、予想外にピアノで消えるように終わる。これだけ見事な作品の最後に、なんと快いつつましやかさであろうか。
 休憩をはさんで次はメンデルスゾーンの《弦楽四重奏曲イ短調作品13》。この曲は1827年、ベートーヴェンの死の報せが届いて間もなく出来あがった。心から尊敬していたベートーヴェンとの関連が多々あるものの、当時18歳のメンデルスゾーンは既にこの曲で紛れもなく彼自身のスタイルを見せている。第1ヴァイオリンの天上的な高さと自由でカデンツァ風なところ、あるいはオーケストラを思わせる豊かな合奏と絶えまなく流れていく美しい旋律、これらの対比が印象的であった。カルテットとしての調和を大切にしながら、しかもより重要な、大きな音楽的連関を見出していた。素朴で北欧風の第3楽章インテルメッツォは、繊細なピッツィカートの伴奏がついており、聴く者の耳を引きつけていた。同様にほとんど宗教的といってよい雰囲気の二つのフーガにも聴衆は深く聴き入った。最終楽章プレストは第1ヴァイオリン以外の3パートが不穏に激しいトレモロを奏でる中、第1ヴァイオリンのレチタティーヴォで極めて劇的に始まった。4人の奏者は、中でも第1ヴァイオリンの小林が、繰り返しレチタティーヴォが挿入されるこの楽章を、激しく情熱的に前へ前へと進めていった。そして最後に第1楽章のゆったりとした序奏が感動的に回想される。この日のコンサートの中でまたも、卓越した作品が卓越した演奏によって弱音(ピアノ)で幕を閉じた。そして聴衆の元には安らぎと宥和の情感が残った。聴衆でうまったフラウエン教会には鳴り止まぬ拍手が続き、今回もまたロータスによって繰り広げられたカルテットの至芸
を称えたのである。

ファイヒンガー・クライスツァイトゥング紙 2015年9月23日付
記事:ジモン・ヴァリンガー



2015年9月20日 リエンツィンゲンの〈ミュージカル・サマー〉コンサート
ミュールアッカー・タークブラット紙2015年9月22日付抜粋


ハイドン《弦楽四重奏曲ト長調作品77》について
“ハイドンの弦楽四重奏曲が持つ洗練された上品さを愛情こめて聴かせることができるロータス、その朗々と豊かな響きに聴き入った”

“第1ヴァイオリンの小林幸子の完璧に澄んだイントネーションは快く、また4人の弦楽奏者が完全にひとつになっている様は驚嘆すべきである。それぞれ確固たる人格である4人が、各自本来の性質を混じり合わせてしまうことなく、ハーモニーの中で溶け合っていた”

“溌剌とした第3楽章、小林のヴァイオリンは羽のように軽やか、敏捷で生き生きとしており、一方で山碕智子のヴィオラは暖かい音でよく響き、アンサンブルに穏やかさを与えていた。第2ヴァイオリンのノインドルフは一見物静かだが、小林と共に完璧で実に冴えたデュオを聴かせた。チェロの齋藤はそのビロードのような音色で何度も見せ場を作っていた”


ベートーヴェン《弦楽四重奏曲第10番作品74変ホ長調》について
“演奏後の拍手がためらいがちに始まったのは、演奏がよくなかったからなどではなく、聴衆が音楽にすっかり浸りきっていたために、まずは現実に戻る必要があったからだ”


メンデルスゾーン《弦楽四重奏曲イ短調作品13》について
“ロータスはこの見事な作品に命を注ぎ込み、基本的に暖かな雰囲気を持つこの曲を最高に美しい色彩で包み込んだ。4人の奏者は、聴く者をすっかり音楽に引きこむ夢のような空間を作り上げた”



ロータスカルテット
2015年1月18日ヘッセン国立アーカイブ(ダルムシュタット)でのコンサート

2015年1月20日付 フランクフルター・アルゲマイネ紙評

<ロータスカルテットがシューマンを演奏>
親愛なるクララよ、失敬!


クララ・シューマンは、自邸で初めて夫の3つの弦楽四重奏曲作品41(イ短調、ヘ長調、イ長調)が演奏された際に、既にこの三曲について、実に詳細なコメント評価を下していた。これらの曲はわかりやすく、繊細によく作ってあり、どこをとっても“いかにも弦楽四重奏曲らしい“というものである。ただ、いつでも夫人クララによるよく計算されたコメントは、幾つかの点で全く逆に取っておく方が良かったりもする。ダルムシュタットのヘッセン国立アーカイブにおけるロータスのコンサートは、このことを十分納得させるもので、シューマン本来のスタイルに対して、確信以上の印象を与えてくれた。作品41の第1番においては、リズムで強調される内的不穏感を高めている。そこでは、お決まり通りに割り振られるテーマの展開の代わりに、ハーモニーが道から逸脱してずっと遠くまで踏み込んで行き、彼の採用した従来の形式に留まることのない地点にまで連れて行く。そして、続く曲の展開部分では、チェロの斎藤千尋が繰り返し何度も、このアンサンブル(ヴァイオリン:小林幸子、マティアス・ノインドルフ、ヴィオラ:山?智子)が厳として守る、弦楽四重奏の模範ともいえる構成の透明度を存分に活かして、低音部から湧き上がる感受性に堂々と形を与え、柔らかく繊細に織りなすカンティレーネを構築している。単一主題の予想のつかないような、気まぐれな変化で豊かな表現力をみせたシューマンから一転し、アンコールのモーツァルト弦楽四重奏曲《不協和音》ハ長調KV465の緩徐楽章では、今度こそ本当にクララの意味したところの弦楽四重奏曲らしい、非常に美しく、精緻に編みこまれた金銀の透かし模様のごとき演奏へと変わった。できれば、この見事に組立てられた演奏を聴いてクララ自身にその見解を見直し改めてもらえたらと願う。




2013年9月22日 フラウエン教会(独・リエンツィンゲン)に於ける
ミュージカル・サマー2013最終コンサート

2013年9月24日付
ミュールアッカー・タークブラット紙(記事:ルドルフ・ヴェースナー)

相対する感情の衝突
ロータス・ストリング・カルテットがベートーヴェンとシューベルトで
ミュージカル・サマーの幕を閉じる


先の日曜日、ロータスは感情表現に富む造形力と華麗な技量による演奏で、フラウエン教会でのミュージカル・サマー2013の最後を飾った。この日のプログラムは、ベートーヴェンとシューベルトの共に1826年に完成した偉大な弦楽四重奏曲2作品。この2曲は明と暗の、また内省に傾く心と人生を肯定的にとらえる心との間の明らかな対比に、精神的な共通点を持つ。

メンバーは日本出身の小林幸子(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、齋藤千尋(チェロ)とドイツ人のマティアス・ノインドルフ(ヴァイオリン)。ベートーヴェンの《弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131》はベートーヴェンの死後になってようやく初演された。7楽章からなる特異な作品であるが、それら楽章は互いに密接につながっている。というのも曲全体は4つの部分に分かれており、つまり3つの楽章は続く楽章への移行部に過ぎない。この40分近くかかる作品がロータスの手により、溌剌と精彩ある音色で演奏された。深刻で悲哀に満ち、陰鬱な雰囲気の第1楽章では、豊かなアクセントとくっきりとコントラストの効いた解釈を展開した。第2楽章の柔らかなメロディと、幾度も現れるアダージオの響きは、特に心打つものであった。ロータスは、アダージオの心深くしみる憂鬱さをことさら強調していた。第5楽章プレストでは、湧き上がる根源的な力によって演奏は高まっていき、卓抜した技量に支えられ、感情たっぷりと、そして衝動的に踊るように曲の最終部へと移っていった。

このベートーヴェンの弦楽四重奏のように、シューベルトの《弦楽四重奏曲第15番ト長調D887》も光と闇の際立った対比と、長調から短調へ度々入れ替わることに負うところが大きい。この4楽章からなる作品をシューベルトは僅か10日間で書き上げた。4楽章を通して、交響楽的とも言える表現の密度の高さが目を引く。ロータスは第1楽章から、曲中に息づくコントラストの数々を徹底的に探っていった。曲に何か明るい兆しのようなものが広がっては、それが抑えられた感情に幾度もとって代わられるのだった。第2楽章アンダンテでは、魂のこもったメロディが繊細な金細工を編み上げるように、そして心に迫るように奏でられていった。最終楽章も舞踏のように快活であった。第3楽章スケルツォは、実に繊細にニュアンスを施され、それでいながら果敢なテンポで聴かせ、そして弦楽の華やかさとあいまって、基底にある明朗な雰囲気が前に出ていた。最終楽章は畳み掛けるように衝動的に形作っていた。ここでもロータスは、またも華麗な技量と感情を込めた造形力で聴衆を魅了した。この日の成熟した演奏によってロータスは、異論の余地なくドイツでもトップクラスのカルテットであることを証明したのだった。




シュトゥットガルト モーツァルト・ザール(リーダー・ハレ)でのXmasコンサート 
2012年12月26日
シュトゥットガルター・ツァイトゥング紙 2012年12月28日付
記事:マルクス・ディッポルト


‘儀式’の多くは決して手を付けるべきでない
ロータス・ストリング・カルテットがシュトゥットガルトのモーツァルト・ザールでバッハからシューベルトまでをカバーするプログラムを演奏今年は‘上昇’がロータスのXmasコンサートにおけるモットーであった。クリスマス休日の2日目に、今回も満席となったモーツァルト・ザールにこの日本にルーツを持つカルテットが登場するのも、コンサートの最後にシューベルトの『鱒』が演奏されるのも伝統となっている。コンサート前半が変化に富んだプログラムであることもまた伝統と言え、今回この前半プログラムは、アンサンブル編成を‘上昇’(拡張)させていくよう企画されていた。

この日のスタートを切ったのはロータスのチェリスト齋藤千尋で、ヨハン・セバスチャン・バッハの『無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調』を演奏。室内楽のコンサートとしても、これは異例のパーソナルな印象のスタートである。しかし齋藤の持つ資質によって実に魅力的なスタートとなっていた。齋藤はことさらに抑えた、控えめな音を選び、それが繊細さと優雅さを際立たせ、それによって洗練された形で表現されている舞曲の伝統が強調されている。

残念ながら次の曲では、奏者の数は‘上昇’したものの質は明らかに下がってしまった。ベートーヴェンの初期の作品をきくと、形式をめぐる彼の格闘が、決まりきった古典主義的なものから個の芸術へと発展するいまだ途上にあることに気づかされるが、それはこの『ピアノ三重奏曲作品1のハ短調』についても例外ではない。残念ながら3人の奏者は、ところどころ説得力に欠けるこの形式に対してインスピレーションに満ちた音楽づくりをするまでには至らなかった。特にヴァイオリンのマティアス・ノインドルフはイントネーションに何度か難があり、幾つかのパッセージで技術的な正確さを欠いた。他方でチェロの大御所ペーター・ブックは手慣れた演奏ぶりにやや過ぎた感があった。

これらの難点は次のハイドンの『四重奏曲ニ短調作品76』ではすっかり払拭されていた。この日のプログラムでは唯一ロータスのメンバーだけで演奏した曲である。出だしからぴんとした緊張をみなぎらせ、エネルギーに満ち溢れた演奏を繰り広げた。第1ヴァイオリンの小林幸子は、極めて速く弾かれた最終楽章のそれぞれ明確に区切られた主題を持つ技術的難度の高い第1楽章で、他の3人を軽快なテンポでリードしていた。

すると、プログラム後半には‘質の上昇’が最高点に達する。それがシューベルトの『鱒』(ピアノ五重奏曲)であった。この作品には音楽の歴史を見て取ることができる。つまり、ベートーヴェンが室内楽における形式上の試みでどんな方向を目指していたのかということや、或いは‘第1ヴァイオリン優位’から‘全ての楽器の平等’へ変えようとしたハイドンの構想がどう実現されているかという点においてである。
5つの楽章全てがシューベルト以前の作曲家の作品よりも明らかに規模が大きく、モティーフと主題の扱いは、ロマン派の交響曲にみられるのと同様にはっきり際立っている。そして変化に富んだインストゥルメンテーションとなっており、それは特に中核となる変奏楽章で極まっている。決定的に重要な役どころであるピアノのコンラート・エルザーを別にすれば、技術的に特に多くを要求されるのはヴィオラの山碕智子と、何といってもヴォルフガング・ギュトラー(コントラバス)の二人である。輝かしく、観客の歓声に包まれたクライマックスとなった。




ダルムシュタット・エコー紙 2012年10月16日付

モーツァルト・チクルス最終コンサート 2012年10月14日
会場:ダルムシュタット、カロリーネン・ザール(ヘッセン国立公文書館)

繊細な感覚で
ロータス・ストリング・カルテットが多様なモーツァルトを演奏

ロータスは躍動感溢れる奏法と生き生きと豊かな響きで、カロリーネン・ザールの聴衆を熱狂させた。

ロータスの登場にあたり、カロリーネン・ザールの座席はほとんど完売の状態であった。五回にわたるモーツァルト・チクルスの最終夜にあたる当コンサートで、小林幸子(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、齋藤千尋(チェロ)ら日本人三人とシュトゥットガルト出身のマティアス・ノインドルフ(ヴァイオリン)で構成されるこのカルテットは5年前にスタートしたシリーズに輝かしい終止符を打った。
 既に確立した評価を得ているロータスはこの冬結成20周年を迎える。過去には「ダルムシュタット城の室内楽コンサート」の企画として、ベートーヴェンとシューベルトのチクルスをそれぞれ開催している。
 この夜のコンサートは、モーツァルトのカルテットの中でも最も独自性の強い作品のひとつ、ハイドンに献呈された『弦楽四重奏曲変ホ長調KV428』で幕を開けた。曲は一風変わった漠とした雰囲気で始まった。そして調和的な和声でヴェールに包んだかと思うと、思いがけぬ不協和音でもって不意をつく。4人は耳をそばだてて互いに音を合わせ、透明で絶妙に均衡のとれたアンサンブルの中に秘密に満ちてほの暗い、不気味とさえ言えるような雰囲気を創り上げた。また、並外れて暗く陰鬱で、執拗な反復を持つ第2楽章アンダンテにおいても、憂愁の情を豊かに表現していた。第3楽章メヌエットでは臆することなく足を強く踏み鳴らすようなアクセントをつけて演奏。このメヌエットは、誇示するように鳴り響く箇所と洗練された優雅さとが交互に現れ、極めて魅力的なコントラストを成していた。最終楽章はハイドンへの実に色彩豊かなオマージュとなった。躍動感を強調しつつ、モティーフについての豊かなひらめきを存分に展開し、同時に深い思索をもってこの和声構造を持つ複雑な演奏に全霊で取り組んでいた。
『弦楽四重奏曲ニ長調KV499』においても、ロータスは鋭く繊細な感覚でもって突如気分を一変させ、何の気配もないところから雰囲気を暗転させた。エネルギッシュな音で、曲に舞台作品をも思わせるような立体感を与えていた。心奪う躍動感で演奏された第2楽章メヌエットは、特にこの夜のクライマックスのひとつであった。
休憩後にヴィオラのグンター・トイフェルを加えて演奏されたモーツァルトの『弦楽五重奏曲ハ短調KV406』では、見事なまでに生き生きとした豊かな響きが展開された。緊張をはらんだ合奏が持つ高密度なエネルギーが素晴らしいのはさておいても、この曲ではしなやかに歌う響きが何より感動的であった。




オーベルストドルフ・ミュージックサマー 2012年8月12日 
会場:イズニー城(ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルグ州)

どの音も形のよい真珠のごとく
ロータスはまるでほんの少し宙に浮いるのではと感じさせる軽やかさ


シュトゥットガルトのロータス・ストリング・カルテットは最も優れた器楽アンサンブルのひとつに数えられる。日本にルーツを持ち、ドイツ古典派やフランス印象派の室内楽曲に専心取り組んできた。更に、日本の現代作曲家や新ウィーン楽派の作品も手掛ける。第20回オーベルストドルフ・ミュージックサマーに招かれたロータスは、日曜の夜イズニー城内レフェクトリー(注:修道院などの食堂)において、モーリス・ラヴェル、ゲオルグ・P・テレマン、ベンジャミン・ブリテン、アントン・ライヒャの作品を演奏した。

同音楽祭と同じく結成20周年を迎えたロータス・カルテットは、初期の頃よりこの国際フェスティバルと、そしてその芸術監督であるペーター・ブックと緊密なつながりを持ってきた。それはイズニーとも同様であるのだが、当地で演奏したのは6年前が初めてであった。音楽祭マネジャーであるロザリンデ・ブランダー=ブックはロータスを紹介するにあたって、あの中世イタリアの聖女、シエナの聖カテリーナの「始めることで報われるのではない、耐えてやりぬくことだけが報われるのだ」という言葉を引用している。そのメンバーとは、ヴァイオリンの小林幸子、ヴィオラの山碕智子(共に大阪出身)、齋藤千尋(神奈川)、そして2005年から第2ヴァイオリンを務めるシュトゥットガルト出身のマティアス・ノインドルフである。客演ソリストとしてロシアのオーボエ奏者イヴァン・ポディオモフが加わり、ラヴェルの『弦楽四重奏曲ヘ長調』の憂愁の世界を引き継いで、テレマンの3楽章からなる『無伴奏オーボエのための幻想曲第6番イ短調』を演奏した。2011年ミュンヘン国際音楽コンクールを含む数々の国際コンクール受賞歴を持つポディオモフは、高難度の対位法のさばき方のお手本となるような演奏を披露。どの音ひとつをとっても形の良い真珠を思わせるものであった。

1902〜1903年に作曲されたラヴェル唯一の弦楽四重奏曲作品35は大きな称賛を巻き起こした。この作品はクロード・ドビュッシーがその10年前に書いた弦楽四重奏曲作品10とのつながりが強く、そのことはラヴェルが自曲で採用した楽章構成と調性の変化に反映されている。第1楽章アレグロ・モデラートでは、結晶のごとくカットされた貴石が瞬間きらめきを放って回転するかの印象。続く第2楽章は舞踊のリズムとピツィカートを効かせ、伝統的な楽章の形に反してスケルツォとなる。ロータスはここで羨ましいばかりの軽やかさを発揮した。まるで4つの楽器が常に数センチ宙に浮いているのかのようである。しかも地上とのつながりは保ちながら。これには、それぞれの楽器の響きの質が高いことに加え、考え抜かれた演出によるアンサンブルであることが大きい。別世界に引き込まれたように聴衆は感じたが、それには会場であるレフェクトリーの音響の良さも寄与していた。

ブリテンの初期に書かれた『オーボエと弦楽トリオのための幻想曲作品2』がなぜプログラムに選ばれたについては、この作品とロータスが1990年代に師事したメロス弦楽四重奏団との緊密なつながりから説明できよう。行進曲風のリズムが曲を通して繰りかえし刻まれる中、オーボエが抒情的で神秘的な旋律を奏でていった。弦楽器は前衛的でややも難解な方向へ走ろうとするが、オーボエがそれを和らげ、しまいには手なずけてしまった。弦は底部では不穏に鳴り続けてはいたのではあるが。「あのブリテンの始まりにはびっくりさせられたが、終わり方にも同じくらい驚いたよ。」とは、休憩中に聞こえてきた聴衆のコメントである。
それに比べると1821〜1826年に作曲されたアントン・ライヒャの『オーボエと弦楽のための五重奏曲ヘ長調作品107』は、ずっと穏やかなものだった。その構成は初めて聴く耳にはどっしりしたものであるように響いたが、すぐに第1楽章アレグロでオーボエと弦楽器による繊細なデュエットの展開となった。ここでも再び軽やかな浮遊感を感じさせつつ、それがまた活気に満ち、重みを増していくメヌエットとロンドの楽章を作り上げていった。

シュヴァーベン新聞2012年8月14日付
記事:バベッテ・ツェーザー




ルートヴィヒスブルク城音楽祭 2012年7月1日
会場:ルートヴィヒスブルク城(シュトゥットガルト近郊) オルデンスザール

曲目:
ロッシーニ:弦楽四重奏曲第2番 イ長調
R・シュトラウス:弦楽四重奏曲 イ長調
ヴェルディ:弦楽四重奏曲 ホ短調

明るい響きと、技巧備えたテンペラメント
ロータス・ストリング・カルテットが
ルートヴィヒスブルグ城音楽祭で珍しい作品を演奏


 
音楽祭には意外な発見がつきものだ。先日の日曜日、ルートヴィヒスブルク城のオルデンスザールでロータス・ストリング・カルテットが演奏したのは、全てオペラ作曲家の室内楽曲である。この日本人とドイツ人からなるカルテットは結成20年を迎えるが、その探索欲と熱のこもった全身全霊の演奏によってメロス弦楽四重奏団の主たる後継者のひとつと目されている。この夜演奏された3曲は、作品の意義が軽いものから順番に並べられた。
 ジョアキーノ・ロッシーニがまだ12歳の時分に『6つの四重奏ソナタ』の中の一つとして作曲したイ長調のカルテット(原曲は低音部としてチェロとコントラバスを使用)では、ロッシーニらしい音色はまだ聴くことができない。前期古典派的なホモフォニーによる、ごく平易なつくりではあるが、この3楽章のみの曲はウィットに富み優雅な響きで聴衆を包んだ。第1ヴァイオリンの小林幸子はエンジンがかかるのに少し時間を要したが、技巧豊かなテンペラメントと輝くような響きで全体を統率する役目をしっかりと果たした。それは、この第1ヴァイオリンに頼った幼い作品においてのみならず、そもそもアンサンブルの中で彼女がいつも果たす役割である。
 リヒャルト・シュトラウスの方は、彼がイ長調の弦楽四重奏曲を書いた時、既に16歳のギムナジウムの生徒になっていた。この曲でシュトラウスは燃えるような野心と溢れる才能でもって、4楽章からなる古典派の楽章構成に挑んでいる。完全にウィーン古典派流で、シュトラウスが後に書いたオペラが持つ音色の兆しはまだ見られない。曲は美しく響き、しっかり引き締まったポリフォニーな作りであるが、ロータスの質の高い演奏にも拘わらず、この曲がシュトラウスの後の作品の持つ洗練された響きにはまだほど遠いことを聴く者に感じさせる。それでも第2楽章スケルツォは極めてオリジナルな響きを持っていた。第3楽章アンダンテは、しっかりと歌い、かつ品があって軽やかな齋藤千尋のチェロの音色によく合っていた。サロン風に流れそうなものだが、しかし齋藤は見事にそれを避けるすべを心得ていた。
 マティアス・ノインドルフとヴィオラの山碕智子は外声部(第1ヴァイオリンとチェロ)を受け持つ2人よりもやや控えめに、往々にしてより淡々と弾いているが、それは時にほんの少しより精確であり、より節度あるということでもある。これはジュゼッペ・ヴェルディの弦楽四重奏曲を聴いてわかったことだ。ヴェルディ自身はこのホ短調のカルテットを、「ドイツ」室内楽に対する云わば密かなオマージュととらえていた。しかしながらこの曲からわかるのは、ヴェルディが「学問的な」技術をフーガに至るまで完全にマスターしていたことだけではなく、オペラの人物描写を得意としたこの作曲家の旋律の独創力である。更には、この曲はヴェルディが弦楽器を知りつくし、また愛していたことの証しであり、そのことが演奏者に喜びとして伝わっていくのである。
 ロータスは長い拍手に応えて、アンコールとしてプッチーニの『菊』をまことにオペラ風に、そしてモーツァルトの初期のアダージオを古典的明快さでもって演奏した。

シュトゥットガルター・ツァイトゥング紙 2012年7月3日付   
記事:マルティン・ベルンクラウ



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