“イケメン指揮者”という呼称がチャールズ・オリヴィエリ=モンローというあまりに長い名前の代わりに使われることはこれまでにも幾度かあった。
カナダとマルタの国籍を持ち、もうかなり長い間チェコを拠点としている彼がこれを知る由もないだろう。
ただ、その立ち振る舞いからするとナルシシストと呼ばれても仕方がない要素はいくらもある。
しかしいざ、指揮をすることになると少し違う。
彼の指揮は決してスタイリッシュやスポーティを狙ったものではなく、むしろ朴訥愚直までにそれを拒絶するぐらい、カッコ悪いまでにその仕事ぶりは誠実なものである。
そしてプレイヤー達とのコミュニケーションを上手につくりながら、緻密なリハーサルを繰り広げ、コンサートでも決して弾き手の邪魔をすることはなく、真摯に音楽の核心へと導いてゆく。
2009年9月12日 チャールズは台北市立交響楽団(Taipei Symphony Orchestra)に初客演。これが彼の台湾デビューとなった。ただ、彼は間もなくもう一度、今度はプラハ室内管弦楽団を率いて台湾に訪れるのだが。
プログラムは彼の特性を引き立たせるべく考え抜かれたものだった。
スメタナ:歌劇『秘密』序曲
R.シュトラウス:ホルン協奏曲 第2番(ホルン:ラドヴァン・ヴラトコヴィッチ)
ドヴォルザーク:交響詩『英雄の歌』
ヤナーチェク:『タラスブーリバ』
コンサートは名手 ヴラトコヴィッチ目当てに集まったホルンを持った大勢の若い聴衆を含めて、かなりの活況を呈していた。
ホルン協奏曲を除くと、全てチェコの作品によるこの日のプログラム。
いずれの作品も演奏に際しては一筋縄ではゆかない難しさをもった作品だが、チェコ作品に精通したチャールズは粘り強く周到且つ合理的な方法でプレイヤーを励まし、高い精度へと導いて行った。
その結果、いずれの作品も高い高揚感をもった演奏に仕上がり聴衆は熱狂した。
果たしてこの日、チャールズは何度カーテンコールに呼び出されたろうか?
いつまでも鳴り止まない拍手をついに彼自身が静止し、聴衆への感謝のスピーチをしなければならなかったのだから。
終演後、すぐに多くの楽員達が彼の楽屋に訪れ、再度の共演を切望していたシーンもまた忘れられないシーンであった。
チェコの音楽関係者たちと指揮者たちの話をすると、現在チェコ国内で最も高い信頼を得ている若手指揮者の名前として、チェコ人ではなく、オリヴィエリ=モンローの名前が必ず挙げられる。
このことを彼らはオーストラリア シドニー生まれでチェコでターリッヒに学んだ英国の巨匠 サー・チャールズ・マッケラスと関連づけて話したがる。
この二人のチャールズは何ら関係も持たないが、偶然チェコ音楽の神髄を理解する英語圏の指揮者がたまたま二人“チャールズ”という名前であることはチェコの人たちにとってちょっとした因縁のようなものに映るようだ。
ところで、このコンサートのゲネラルプローベがホール内で行われている最中、ホールの豪奢なロビーではフィルハーモニア台湾(国家交響楽団 National
Symphony Orchestra, Taiwan)がミュージック・アドヴァイザーのギュンター・ヘルヴィッヒの指揮でマーラーの第9交響曲のリハーサルを行っていた。
オリヴィエリ=モンローがトロントでまだ学生だったころ、ヘルヴィッヒはトロント交響楽団の音楽監督だったのだが、オリヴィエリ=モンローはこの日、ヘルヴィッヒを表敬訪問。長い時間親しく談笑していた。
チャールズ・オリヴィエリ=モンロー プロフィール
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