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レイフ・セーゲルスタム 新聞・雑誌 掲載記事 | ||||
音楽現代 '13.
4月号 音楽現代 '13.
4月号 音楽の友 '13.
4月号 音楽の友 '13.
4月号 '13.
3月11日 朝日新聞 夕刊 '13. 2月28日 日本経済新聞 夕刊 ↑クリックすると拡大画像がご覧いただけます。 '13. 2月19日 朝日新聞 夕刊 ↑クリックすると拡大画像がご覧いただけます。
音楽現代 '10. 5月号 読売日本交響楽団 第490回定期演奏会 マーラーの交響曲第7番「夜の歌」、指揮はレイフ・セーゲルスタム。その演奏は自然な音調がマーラー独特の交響的響きを表現、夜の闇や安堵感などを感じさせ、また、マーラーの自然への愛着や人生観などへの反映をも感じさせた。 第1楽章は低音楽器が効き、暗澹たる夜の表情、ハープによる天国的な奏楽や行進曲的勇壮さを加えて、夜の世界への没入するよう、第2楽章は和やかな牧歌的情景が想起され、ホルンや、バンダとしても使われたヘルデン・グロッケンも効果的に、安堵感が感じられた。第3楽章は精細な表現で、死の影のように闇がひたひたと忍びより、第4楽章はホルンの柔らかい吹鳴、ギターやマンドリンの趣ある表情も加わって、夜の甘い雰囲気を紡ぎ出した。終楽章はティンパニーが闇を打ち破り、金管は輝かしい吹鳴、緩急のめりはりをつけ、第1楽章の主題が満を持したように再現、最後を全曲中のクライマックスと高めた。 2月19日・サントリーホール (菅野泰彦) 音楽の友 '10. 4月号 Concert Reviews 読売日本交響楽団(第169回) フィンランドの指揮者レイフ・セーゲルスタム(1944〜)を4年ぶりに迎えての演奏。今回はセーゲルスタム作曲の交響曲も世界初演する。それがなんと第198番。200曲以上の交響曲があるというから恐るべし。この日はワーグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛と死、《マイスタージンガー》前奏曲の他、ハイドン「トランペット協奏曲」(ルベン・シメオtp)であった。セーゲルスタムの指揮はハイドンではけっしてクリアーで明快な指揮とはいえない。むしろ重厚である。ただしトランペットは豊かな響きと確かな技法で聴かせた。特にアンコールでは超絶技巧的な技を見せた。《トリスタン》は、非常にロマンティックにしかもねっとりと指揮。《マイスタージンガー》も細部は気にしないで全体を壮大に作る指揮である。野太い音楽作りの指揮で押すため、聴き手には極めて効果的な反応を呼び起こす。さて「交響曲第198番」と聞いてあまり期待していなかったのだが、聴いて驚き。けっして綿密な作りではないが大音響で始まり実に効果的に聴かせる。コンセプトばかり主張してつまらない作品を書く近年の作曲家よりははるかに面白いのだ。音楽は何よりまず聴き手が退屈せずに聴ける音楽でなければならないだろう。セーゲルスタムはそれを心得ている。様々な親しみ易いモティーフも用いるなどテクスチュアは単純だが聴かせる音楽だ。 2月13日・東京芸術劇場 (佐野光司) レイフ・セーゲルスタム プログラム グリンカ:『ルスランとリュドミラ』序曲 グラズノフ:『ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82』 ドヴォルザーク:『交響曲 第9番 ホ短調 作品95(新世界より)』 ヴァイオリン:ニコラ・ベネデッティ フィルハーモニア管弦楽団 於:ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ロンドン、サウスバンク・センター内) レイフ・セーゲルスタムの堂々たる体躯は、スケールの大きな彼のスピリットをおさめるにぴったりである。指揮を始めると彼の両手は、大きく伸ばした腕の先で生気あふれて羽ばたく小鳥に変わる。ビートを刻むことはない。その結果はたいしたものである。フィルハーモニア管弦楽団がセーゲルスタムに応えて、華麗で颯爽たる演奏を見せる。セーゲルスタムが特に優れているのは、壮麗で規模の大きな作品、燃えるような生命力と色彩に溢れる作品を描き出すことにある。精彩を欠いた演奏になることがあまりにも多い作品が、彼の手にかかると再び生気とダイナミズムを帯びるのである。よく知られた、そしてすっかり手垢がついた感のあるグリンカの『ルスランとリュドミラ』序曲が活力に溢れ輝きを放っていた。曲のもつ溢れんばかりの力が渦巻き湧き立つ。音楽が歓喜の歌を言祝いでいた。 グラズノフのヴァイオリン協奏曲はあまり演奏されることがない。もっと評価されてしかるべき作品である。活き活きとしたメロディの美しい曲で、その職人気質を感じさせる作りは、細部まできっちりと確かなものである。極めて洗練された曲なのだ。ニコラ・ベネデッティ―楽器はストラディヴァリウス―が音楽に向かう姿勢は真摯なものである。曲の上昇局面ではしなやかに波打つ銀鈴のごときフレーズを聴かせ、ある時は優雅に水面を滑るようであり、また軽々と空を切るごとき弾きぶりは堂々として見事、そしてどこにも継ぎ目を感じさせぬとても美しいものであった。セーゲルスタムの指揮は配慮が行き届いていた。 さて、『新世界』交響曲でセーゲルスタムは意表をつく演奏をみせた。彼が描いてみせたのはヨーロッパからアメリカに当てた挨拶状(注:この曲の副題は当時の新世界アメリカから故郷ボヘミアに当てたメッセージといった意と言われる)である。それは言ってみれば、ヨーロッパの伝統がアメリカの人々に送ることが出来る最も洗練されて華麗な宣言文なのである。それはまず、作曲家ドヴォルザークの命ともいえる民族意識を表明し、讃えさえする。それから、―威厳の輝きを保ちつつ―、ネイティヴ・アメリカンや開放されたばかりのアフリカ人奴隷の存在を、アメリカの将来の潜在的な力として認めるのである。と言っても、この演奏は安っぽいプロパガンダ用のポスターみたいなものでは決してなかった。ドヴォルザークの第9交響曲が、ヨーロッパの伝統が誇る最も完成度の高い音楽の何がしかをその内に秘めていることを、セーゲルスタムとフィルハーモニア管が自信に満ちてここに宣言したのである。 評:ケネス・カーター 2009年10月15日
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