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ロータス・カルテット コンサート・レヴュー


最上級の音楽

室内楽コンサート:ロータス・カルテットと
ヴォルフガング・ベッチャーの演奏は、
深く内面に向かう真摯さと演奏の喜びをあわせもつ

ロータス・カルテット&ヴォルフガング・ベッチャー(チェロ)

シューベルト:
◆弦楽四重奏曲 ホ長調 D.353
◆弦楽四重奏曲 二長調 D.74
◆弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956

2007年11月18日 ダルムシュタット

 シューベルトの弦楽五重奏曲は全く純粋な音楽そのものである。シュトゥットガルトを本拠とするロータス・カルテットとベルリンのヴォルフガング・ベッチャーがその楽譜から魔法のごとくつむぎ出したのは、卓越して上質の音楽であった。全席完売となったヘッセン国立公文書館のカロリーネン・ザールにおいて、150人の聴衆が演奏時間160分と通常の時間枠を越えたそのコンサートで素晴らしい演奏を堪能した。
 それは冒頭から心を掴むものだった。自然な弦のタッチと、正確なリズムによる合奏。シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調D956の第一楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポでは、小林幸子(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、斎藤千尋(チェロ)、そしてドイツ人で第2ヴァイオリンのマティアス・ノインドルフらによる演奏にゆったりと身をゆだねて聴き入ることができた。
 このカルテットに加わったのが、ベルリン芸術大学の教授でドイツ国内有数のチェロ教師でもある大御所ヴォルフガング・ベッチャーだ。ベッチャーが演奏全体にしっかりとした土台を与え、そして、他のメンバーの技量も常にプロフェッショナルなものではあったが、ベッチャーが加わることで芸術的にも極めて優れたものとなった。

(中略)

 五重奏曲の悲痛なアダージョでは、演奏家たちは明らかに感情的になっていた。年長者の賢さと老獪さを併せもつベッチャーは他のメンバーを流れへと引き込み、彼が音楽の流れを低音部から操り導いていたといえよう。小林が感度よく繊細にそれに調和する。
そして突然に燃え上がるような中間部がきた。ベッチャーのチェロが炎をあげると、小林のヴァイオリンとチェロの斎藤が憧憬に満ちたメロディを奏で始める。五人はプレストではテンポを押さえ気味に運び、華やかな技量を繰り広げるよりも壮大な響きを聴かせることに狙いを置いていた。それは、後に続く弔いの音楽への導入としてふさわしいものであった。
 ピアニシモのなんと柔らかで繊細であったことか。それでいながらフィナーレに到る響きは華やかで、そこでは旋律が果てしない演奏の喜びとひとつになっていた。

マヌエル・シュタンゴラ
2007年11月20日 ダルムシュタット・エコー紙




ザンクト・ヴァイト教会(ヴァルデンブッフ)でのコンサート

クライスツァイトゥング 2007年6月25日付 評ヤン・レンツ

◆モーツァルト:弦楽四重奏曲 第21番 ニ長調 K.575
◆ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 op.59-3 「ラズモフスキー 第3番」
◆ブラームス:弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111
      (共演/ヘルマン・フォス(ヴィオラ:メロス 弦楽四重奏団))

ザンクト・ヴァイトでロータス・ストリング・カルテットが上質のコンサート
トレードマークは軽やかでしなやかな音色


イーゴリ・ストラヴィンスキーは、コンサートに来る人々は音楽という魔法にかかっておりおり、それで聴衆は目を閉じて音楽に耳を澄ますのである、といっていた。ヴァルデンブッフのザンクト・ヴァイトで開かれたロータス・カルテットのコンサートでも、人々は何ら見ることは望まず、ただただ聴くことを求めていた。それほどまでにアンサンブルの響きは繊細で洗練されていた。それはあらゆる細部に至るまで貫かれていた。多くの聴衆が、浸りきってモーツアルトに聴き入っていた。このコンサートでは、それぞれが複合体の様相を呈する3曲が演奏され、どの曲も独自の世界を聴かせ、またどれもがその曲なりの魅惑に満ちていた。
 ロータス・カルテットのトレードマークは重い響きではなく、軽やかでしなやかな音色にある。それは、この夜の最初の曲ですぐに明らかになった。極めて洗練されており、研ぎ澄まされた響きでモーツアルトの弦楽四重奏曲KV575が奏でられた。曲は憧れを表すような主題で始まる。1789年に作曲されたこの作品は、自らもチェロを弾いたフリードリヒ・ヴィルヘルム王に捧げられており、そのためチェロも支配的な役割を担っている。
 次に続いたのはベートーヴェンである。弦楽四重奏曲作品59−3であるが、この曲には大胆な改革者としてのベートーヴェンが表われている。ロータスの演奏はガラスのように透明で、かつ極めて説得力があった。この曲の明朗さが激しさと共に見事に表現されていた。若干音の濁りはあったものの、それはおそらく避けられぬものであろう。ベートーヴェンの最終楽章は熱狂を誘う激しさで素晴らしい演奏であった。休憩を前にして既にブラヴォーの声がかかり、記録的ではと思わせるほどの拍手に包まれた。
 モーツアルトで曲に冷静な線描を施したかと思うと、ブラームスでは燃え盛るようなエネルギーをみせる。休憩後はブラームスの弦楽五重奏曲作品111が演奏された。この曲ではカルテットにヘルマン・フォス教授が加わった。彼は、あの今はなき伝説的なメロス・カルテットのメンバーである。聴衆は数小節で既にブラームスの世界、ロマン派の領域に引き込まれていた。色彩が熱くたぎり、演奏家たちは見事なハーモニーで奏でた。第3楽章は真にていねいな仕上げである。そして最終楽章は実に激しく、性急であった。
この素晴らしく美しい夕べをもって、8年目となるヴァルデンブッフ・コンサートシリーズは幕を閉じた。




2007年3月7日
ゲッピンゲンのシティホールでのコンサート



ライン・ツァイトゥング紙

Zオンライン2007年3月19日

リッターザールで女性弦楽奏者たちが魅力をふりまく

ロータス・ストリング・カルテットは、モンタバウアで日本的完璧と
ドイツ的な内面の深さを融合し聴衆を魅了

 モンタバウア発。「日本的完璧とドイツ的な内面の深さを併せ持った」、あるいは「日本的な魅力を備えたシューベルトのカルテット」。高い期待と賞賛がこの弦楽アンサンブル、ロータス・ストリング・カルテットには先行していた。そしてモンタバウア城のリッターザールで、彼らはその評判をはるかにしのいでみせた。小林幸子(ヴァイオリン)、山碕智子(ヴィオラ)、斎藤千尋(チェロ)らが女性らしい日本的な魅力を発散し、ドイツ的な感情の深さは、ヴァイオリンのマティアス・ノインドルフが、他の三人との対等なアンサンブルの中で保証していた。
 「ただただ最高!」。モンタバウアのシュロス・コンサートで魅了されたひとりの聴衆の賞賛の言葉が今回の演奏会をまさに言い表している。幾多の国際的な賞に輝くロータス・カルテットが来演し、古典弦楽作品ファンの心を高鳴らせたのである。
 市長のクラウス・ミースは挨拶の中で、数ある弦楽カルテットの中でも本物の至宝をモンタバウアに招いたことを大変に誇りとしていた。ミース曰く、フォルクスバンクによるこのような文化行事への支援があればこそ多くの催しが可能なのだと。それに先立って、このような才能あるカルテットが来てくれなければ、当地モンタバウアの文化行事に際立った催しが欠けるところであった、とも語った。
 ロータス・カルテットはドイツ古典派とフランス印象派を特に好んでいる。モンタバウア城のリッターザールで4人の才能ある音楽家がそのすばらしい演奏を行ったのは、ハイドンやシューベルト、メンデルスゾーン・バルトルディといった古典派である。まずは、ハイドンのカルテットの名曲に数えられるヘ長調のカルテット作品77−2で、ロータスは卓越した演奏を繰り広げた。そしてそれに続くフランツ・シューベルトの弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品125でも、ハイドンに劣らぬ情感豊かで献身的な演奏をみせた。シューベルトの弦楽四重奏曲は周知のように、快活で内容に富んだ音楽である。それをこの4人は極めて高い集中力で、しかし軽々と実現してみせる。第2楽章スケルツォでは音楽がまさしく笑い、文字通り夢のようなアダージォではロータスの内容豊かな演奏が極めてよく現れていた。
 フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディの弦楽四重奏曲ニ長調作品44−1は、締めくくりにふさわしく芳醇で洗練された音楽に仕立てられていた。4つの楽章が華々しいフィナーレへと流れ込み、聴衆の熱狂的な喝采を誘った。その喝采が更にアンコールを求めると、彼らは快く応じ、モーリス・ラベルの弦楽四重奏曲から第2楽章を演奏し、この注目に値するコンサートを締めくくった。この夜のコンサートは、モンタバウアの文化行事の中でも疑いなく最高の催しに数えられよう。           
記事:ハンス・ペーター・メッテルニヒ




直前にカザール・カルテットと交代したロータス・ストリング・カルテットが
シティホールでシーズン最高のコンサート

定期予約演奏会/ゲッピンゲン・シティホールでのロータス・カルテット
多彩な情感の万華鏡
シューマン、ヤナーチェク、ラベルの作品で感銘深い演奏

もし、予定通りカザール・カルテットが出演していたら一体どんな演奏会になっていただろうと考えるなど埒もないことではある。だが、ある者にとっての「災難」も当地の音楽愛好家にとっては幸運であった。というのも、ロータス・カルテットの登場が結局、今シーズン最高のコンサートとなったからだ。
ゲッピンゲン発。カザールのヴィオラ奏者マルクス・フレックが彼らのキャンセルを詫びた短い挨拶の中の言葉を借りれば、このすばらしい演奏会となったのもある意味、このチューリヒの演奏家たち(注:カザール・カルテットのこと)のおかげであるとのこと。これは今回の出来事に関して、なかなかのアイロニーである。なんとしてもせめて同レベルの「代役」をと探す中で、問い合わせはシュトゥットガルトのロータス・カルテットにも届いた。ロータスは、全く別のプログラムとはいえ、あと二日しかないコンサートの代役を受けて立ったのである。一曲目はシューマンのヘ長調のカルテット作品41−2であった。3人の日本人演奏家と、当地の音楽ファンには街の教会オーケストラのコンサートマスターとして知られているシュヴァーベン出身のマティアス・ノインドルフが、歌うような、しかし決してしつこくおもねることのない抑揚で即座に人々をひきつけた。その演奏は、弦楽器が沸き起こす興奮と、陰影深い表現でありながらなおかつ輪郭のしっかりした瞑想的な部分との変化を巧妙に際立たせた見事なものであった。それは教科書どおりとも言うべきシューマンの解釈であり、聴くうちに後に続く作品の演奏にも期待が膨らんだ。そしてその期待は感激的なまでに満たされたのである。
 まずはヤナーチェクの「ないしょの手紙」とよばれる弦楽四重奏曲第二番である。ロータスは類稀なほどの確固たる決意でもって、この曲の多様な形態を持つ感情世界に入っていった。それはまさに聴衆が息をのむほどであった。というのも、そこでは技術上のとるに足らぬことに拘泥することなく、それでいながら卓越した演奏技術を伴っており、そして、はっきりとは連関の聞き取れぬその形態の意味を次第に探り当て特徴づけてゆき、極めて情熱的にそして全くの明瞭さを持って情感の万華鏡を形作っていたからである。
この四人の演奏家は、同様に、強引な解釈をはさむことなく音楽を作り上げていく姿勢をラベルのヘ長調のカルテットでも示して見せた。この曲では、情緒的なものが洗練された思考の戯れに昇華されている。ロータスは繊細でありながら、かつ力強いアクセントによって軽さを得た音色法[コロリート]に精緻で洒落たエレガンスを添えて、その情緒性に効果的な形を与えていた。その軽やかさはアンコールのメンデルスゾーンにおいても、また別の独特の形で現れていた。      
記事:ハンス・ヘルデエク



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