ロータス・カルテット&フランシス・グトン(チェロ)
2010年2月14日
ハイデン(スイス、アッペンツェル近郊)のリンデンザール
『クロイツェル・ソナタ』弦楽五重奏版
(ベートーヴェンの同名ヴァイオリンソナタの編曲)
シューベルト弦楽五重奏曲ハ長調 作品163 D956
卓抜した技術を備えた独自の演奏スタイル
ロータス・ストリング・カルテットがフランス人チェロ奏者のフランシス・グトンを加えた五重奏で、極上の室内楽を聴かせた。
先の日曜午後に開かれた『アッペンツェルの冬2010』の第二回コンサートは、一流の演奏家の手による選り抜きのプログラムであったことが一番の印象である。古い歴史を感じさせるリンデンザールの心地良い空間の中で、期待に満ちた聴衆が心に響く素晴らしい音楽のひと時を体験したのだった。
演奏されたのは、18世紀末から19世紀にかけての古典派の室内楽曲の中でも極めて興味深い二つの弦楽五重奏曲、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ『クロイツェル』の弦楽五重奏版と、フランツ・シューベルトの名高い弦楽五重奏曲ハ長調
作品163 D956である。
日本由来の弦楽四重奏団ロータス・カルテットは、『アッペンツェルの冬』にこれで五度目の登場となる。今年は世界的に評価の高いフランス人チェリスト、フランシス・グトンを迎えた五重奏の編成でのコンサートとなった。グトンの加入はこのカルテットを理想的に補っていたが、同時にグトンのソリストとしての資質も強く印象に残った。
この5人のアンサンブルでは、響き及びリズムの均質性と、音楽的効果の高さが大きな魅力となっていた。オーセンティックで考え抜かれた解釈のもつ芸術性、宝石のように多様な輝きを放つ響きの世界、そしていかにも軽々とした演奏は見事なものである。
第一ヴァイオリンの小林幸子が配慮の行き届いたリードを見せ、確固とした表現力のある音でソロとしてのアクセントを加えていく。そこに第2ヴァイオリンのマティアス・ノインドルフ、ヴィオラの山碕智子、チェロの斎藤千尋、同じくチェロのグトンが、全く対等なパートナーとして加わり、情感豊かな音色でこのアンサンブルの響きと演奏のスタイルを洗練されたものに作り上げていた。
ベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』
コンサートは聴衆期待の『クロイツェル・ソナタ(イ長調、作品47)』弦楽五重奏版で幕を開けた。ベートーヴェンはこの曲を元々はヴァイオリンとピアノの為のソナタとして技巧豊かなスタイルで書いている。1830年にジムロックから出版されたこの五重奏版の編曲者は不明であるが、おそらくベートーヴェンのいずれかの弟子であると思われる。
この弦楽による五重奏版はコンパクトな協奏曲のたたずまいで、オーケストラを聴くようであった。奏者(特に第1ヴァイオリンとチェロ)は幾度も独奏的な見せ場を作っていた。
冒頭楽章(「アダージオ・ソステヌート、プレスト」)では、即興によるカデンツァのようなゆったりした導入部が、スタッカートのリズムが特徴的な第一主題へと慎重に移行する。一切無駄のない的確な一連の主題が実に活き活きと形を表し、多様なヴァリエーションで繰り広げられる。結びのコーダは厳密にテンポを保っているにも関わらず、紛れもなくストレッタの高揚感を帯びており、最後は技巧を駆使した音階に終わった。リートを思わせる憧憬に満ちた主題を持つ第2楽章(「アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ」)は実に多様な色彩変化を見せる。そのまことに豊かな表現の世界を、このクインテットは研ぎ澄まされた感覚で深く探りだしていった。手の込んだ演奏技術上のアクセントや、4つのそれぞれ全く趣きの異なる変奏がもつ雰囲気の各々が、全て効果的に表現されていた。ロンドに似たソナタ形式による活力に満ちた最終楽章では、確実に効果をあげる演奏技術が何よりも印象的であった。
シューベルトの弦楽五重奏曲
この日のクライマックスはシューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調であり、その演奏は実に魅力に富んでいた。この曲では、控えめな大作曲家シューベルトが彼自身の内奥深くをのぞかせており、また彼の内に秘めた苦悩を克服するかのように表現している。
5人のアンサンブルは、彼らの豊かで幅広い表現の隅々まで強弱法による緊張をみなぎらせていて、ヴィルトルオーソ的技巧や、或いは響きの美しさだけに頼っていない。この偉大な作品に彼らは脈打つ命を吹き込んでいた。すなわち、色彩豊かな第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」での深い情感、内省的な美しい旋律をもつ第2楽章「アダージオ」での平安と突然湧きあがる動揺、心揺さぶる「スケルツォ」の湧き立つ生命力と「アンダンテ・ソステヌート」(共に第3楽章)の謎に満ちた静けさ。そして、アクセントの効いたリズムを持つ最終楽章は、死に脅かされるものとしての人間存在と存在の喜びとの相克の中、テンポを2段階上げていく緊張と高揚のうちに頂点に至ったのである。
熱狂的な拍手によって五人の奏者は何度もカーテンコールに呼ばれたのであった。
アッペンツェラー・ツァイトゥング紙
記事:フェルディナント・オルトナー
音楽の友 '10.
1月号 Concert
Reviews
群馬交響楽団東毛定期(第28回)
首席客演指揮者マルティン・トゥルノフスキーが、前夜はホームである群馬音楽センターで第459回定期演奏会、続けて同じプログラムによる東毛定期を指揮した。就任11年、81歳の巨匠が振る群響はバランスよく格調高く、名曲を名演で堪能させる。
前半はドヴォルザーク「チェロ協奏曲」で、ソリストに迎えたのはフランシス・グトン。オーケストラの透明感ある序奏は、独奏チェロの音色の予兆のよう。グトンの非凡さ完璧性は、鮮やかな指遣い、艶やかに柔らかい弓のさばき方でも一目瞭然、引き締まり、深く、せつなく、澄んだ響きが豊かに繰り出されて圧倒的な存在感だ。第3楽章、コンサートマスター長田新太郎との二重奏にも震撼させられた。後半は巨匠が愛し得意とするブラームスの「交響曲第4番」。ドヴォルザークの協奏曲では抑え気味だったオケを重厚で情感たっぷりに歌わせて、楽章の特徴が明瞭に示された。管楽器がよく響くホールでも、さらに美しさを際立たせたのが第4楽章のフルート・ソロ。哀愁漂う中にも暖かい調べが含まれて秀逸。全体にまとまりのよい快演であった。
11月22日・桐生市市民文化会館
(蓑嶋昭子)
音楽の友 '10.
1月号 Concert
Reviews
神奈川フィルハーモニー管弦楽団(第258回)
この月は2人の客演を迎えた定期。指揮がマルティン・トゥルノフスキー、独奏チェロがフランシス・グトンだった。そして曲目は、ウェーバー《オベロン》序曲、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」、マルティヌー「交響曲第4番」を聴かせた。トゥルノフスキーがてきぱきと快調にすすめた《オベロン》序曲がまずは順当な滑り出しだったのだが、次のドヴォルザークが感興に溢れた。トゥルノフスキーの指揮は第1楽章冒頭からスケール感を漂わせる。主題旋律は野趣よりも洗練があり、導入されたチェロが馥郁として詩趣も豊かに歌っていく。音色は陶酔的な美音であり、技も煌めく。朗々と響かせながらフレージングのセンスはすこぶる好ましい。フランスのチェリストの血の内の美意識なのかもしれない。オケと呼応しての終楽章の妙技もすっかり堪能させた。トゥルノフスキーが一層濃密に聴かせたのは、マルティヌーだった。芳潤な抒情性を湛えた交響曲を、自国の曲とはいえ細密に聴かせていく。非常に繊細な音楽構築をみせる一方、極めてエネルギッシュでダイナミックな響きを造る。第3楽章ラルゴなど、弦や管にリリカルな歌も与えて上々。部分的に少々乱れはあったけれども。
11月14日・みなとみらいホール
(小山晃)
フランシス・グトン リエンツィンゲンのフラウエン教会に出演
バッハとカサドというコントラストの効いたコンサート
チェロの名手が華麗な演奏で魅了
リエンツィンゲンのフラウエン教会で行われる『ミュージカル・サマー』に今年はチェロファンに嬉しいコンサートが登場。フランシス・グトンがJ・S・バッハと20世紀のスペイン人作曲家ガスパール・カサドの作品を組み合わせて、バランスよくコントラストの効いたコンサートを作り上げた。教会という心地よく温かみのある音響空間で、これらの魅力ある音楽が大きな悦びをもたらしてくれた。昨年トロッシンゲン音楽大学の教授に招聘されたフランス人チェリストのグトンは、バッハの無伴奏チェロ組曲2曲の間にカサドの作品を挟んでコンサートを構成。バッハは1717〜1723年のケーテン時代にこの六つの組曲からなる一連の作品を書き上げた。これはチェロという楽器がようやく音楽界に出始めた時期にあたる。何しろようやく1700年ごろになって、実験好きな楽器職人によってこの低音を響かせる弦楽器が弦楽器族の仲間に加わったばかりだったのだから。他の音楽家や作曲家たちがこの新しい楽器にまだおそるおそる向かっていた時代に、チェロという楽器が驚異的な響きの可能性を持つことを、この比類のない無伴奏組曲によって後々のチェリストたちにまで明示したのがバッハであった。
この楽器の不思議に魅惑的で、まことに奥の深い響きを味わいつくす技量を名手グトンは備えていた。グトンは厳粛に、しかも内なる情熱に導かれ、オープニングの第1組曲BWV1007を弾き始める。彼のボーイングは並外れて優れており、その弓はどんな細かい音(音価の小さい)も完璧に弾き出してみせる。続く楽章においても、その弓が非の打ち所なく歌うように美しい響きを紡ぎ出していた。この第一番は休憩後に演奏された第6番同様に厳格な響きを具えているが、グトンの音楽に寄せる理解によってそれが親しみやすいものに表現されていた。
日曜の午前中に行われたこの教会コンサートの後半には、組曲第6番ニ長調BWV1012が演奏された。ここでも再びグトンは彼の高貴な音色のチェロ(1734年ヴェネチア製)を豊かな音色と華麗な響きで弾き、その比類のない技量を繰り広げていく。
装飾的な様式美に満ち、変幻するテンポで流れていくこの旋律を、グトンは内面深くから湧き出る解釈によって演奏し、聴くものを感動と熱狂に巻き込んだ。それでいて作品が持つ快活な表情を際立たせ、味わうことも全く怠ってはいない。
バッハの二つの組曲の間には、チェロによる華麗な花火のごとき作品が演奏された。当地で全く知られていないこのガスパール・カサド(1897〜1966)の独奏曲を、ここリエンツィンゲンで演奏するのはフランシス・グトン自身の希望によるもの。
この3楽章からなる作品は明らかにスペイン音楽独特の雰囲気をもち、その民族的な要素が何度も現れては輝きを放つ。それが全く趣きの異なるバロック音楽と好対照をなしていた。おどけた舞踊風のパッセージが活き活きと情熱的に仕立てられていく。ここでも曲の冒頭から聴く者を魅了したのは、彼が完璧な技巧でもって楽器から引き出したその響きであった。その響きは温かく軽やかでありながら、常に緊迫感に満ちている。それはグトンがくれた最上級の音楽体験であった。
ミュールアッカー・タークブラット紙2008年7月1日付
ルドルフ・ヴェースナー
軽々と、そして活き活きと演奏されたチェロ組曲
トロッシンゲン音楽大学の教授でチェロの名手であるフランシス・グトンは、地味なスタイルながらも確実にキャリアを築いてきた。そのチェロの技量は有機的に発展してきたとの印象で、自負心が感じられる。彼のドメニコ・モンタニャーナ製の楽器(1734年ヴェネツィア)は温かい音色と共に力強さも持つ。
フラウエン教会(リエンツィンゲン)における『ミュージカル・サマー』に招かれたグトン(彼は15年前にも同教会で演奏している)のマチネーは、バッハの無伴奏チェロ組曲とスペインのチェロの大家ガスパール・カサド(1897〜1966)の組曲で構成され、舞曲ならではの楽しい雰囲気溢れるものであった。明るい長調の楽曲が並んだことで、このソロ・コンサートは温かい雰囲気になっていた。グトンの弓に弦は歓喜の響きを奏で、快活に飛び跳ねるように、時には天高く歓声を揚げるがごとき音色と響きで演奏していく。J・S・バッハのチェロ組曲第1番ト長調BWV1007では、音楽を苦もなく軽々と多彩な表情に弾き分けていった。導入の『プレリュード』では穏やかにたっぷりと、第3楽章の『クーラント』では渦巻くような流れを精妙に生み出していき、終楽章『ジーグ』はエネルギッシュにまとめていた。
コントラストに富んだ舞踏組曲
バッハのチェロ組曲第6番ニ長調BWV1012のコントラストに富んだ舞曲でも、グトンの解釈は単にリズミカルに強弱をつけるだけではない。楽曲に深い理解を寄せて演奏するグトンはそれぞれの舞曲の性格を的確に描き出していた。朗らかで優雅なところもあれば、時に激しいポジション移動でアクロバティックに、また時には大地に根ざした生命力を感じさせる。彼のゆったりと落ち着いた演奏ぶりは、それが実は超人的な技であることを全く気づかせなかった。
バッハの2曲の間に、カサドの3楽章からなる極めて旋律が美しく技巧的に華やかな作品が挿入されていた。グトンはこの民族的な色彩の舞曲で生気溢れる演奏をみせた。そこではグリッサンドや、装飾的なスケールの数々、重音、そして大胆なフラジョレット音など全く瑕疵のない技巧が駆使されていた。色彩豊かで、聴く者としてこれ以上は望めぬ爽やかな夏のマチネーであった。
プフォルツハイマー・ツァイトゥング紙 2008年7月1日
R.・ウーリヒ
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