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2005年 4/28 | ||||||||||||||||||||||||||
コジマ・コンサートマネジメント ウィーン・レポート “突然舞い込んだ凱旋公演” 湯浅卓雄 指揮=BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団 ウィーン公演 (2005年 4月16日(土)ウィーン・コンツェルトハウス) |
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BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団(BBC National
Orchestra of Wales = BBC NOW) のドイツ5都市とオーストリア ウィーンへの演奏旅行はBBCにとって極めて重要な一大プロジェクトであった。 4月9日から16日までのツアーの全6公演を指揮することになっていた首席指揮者が8日、急病により出演不可能となったのである。BBCにとってはショッキングなアクシデントであった。 演奏される機会が少ない エルガー:交響曲 第2番とラフマニノフ:交響的舞曲をそれぞれメインに、そのほかアンコールを含めて全部で8曲から成る膨大な作品群の演奏を信頼して託すことのできる指揮者を、翌日までにフランクフルトに招かねばならないという酷く難しい状況に見舞われたのである。 しかも、フランクフルト、シュトゥットガルト、ウィーン公演は放送でも演奏が紹介される大切な公演なので、尚更重大である。 BBCにとって、前月3月、BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団との数回の演奏会での客演で絶賛を博した湯浅卓雄こそが、唯一最大の頼みの綱だった。 1989年のBBCスコットランド交響楽団首席客演指揮者就任以来の強い信頼である。 しかも、湯浅のスケジュールは 8日の夜、イェーヴレ交響楽団(スウェーデン)の定期公演を指揮した後、ラハティ交響楽団(フィンランド)とのリハーサルが始まる18日まで、丁度10日間だけ、全く偶然にもスケジュールが空いていたのだ。 しかし、湯浅にとっては問題もあった。 スウェーデンで演奏会での後、ただちにフランクフルトに向かわなければならないため、グラスゴーの自宅に、自らのスコアを取りに帰ることもできず、一方、18日からのラハティ交響楽団との演奏曲目のスコアも手元にないという状況である。 しかし、これも幸いなことに、BBCのツアーは最終日のウィーン公演の前2日間、演奏会がない休暇日があり、楽員らが休暇を楽しんでいる間に一旦グラスゴーにラハティのためのスコアを取りに帰ることができたのである。だが、BBCのツアーでの8曲については、やむなくオーケストラ所有のスコアを使うことで急場をしのがざるを得なかった。 しかし、湯浅はこの困難を引き受けた。後日、それはなぜか?と問うたところ『BBCの人たちの困っている顔が浮かんで、敢えて危険をおかそうと思った』のだという。おそらく、きっとうまく行くという自信を秘めていたのだろう。 演奏会は各地共、大成功であった。どの街でも終演時 聴衆の称賛に応えての7〜8回のカーテンコール、ステージ上での楽員からの指揮者への度々の賞賛。それが毎回の演奏会でのお決まりの光景となっていたそうだ。 11日のシュトゥットガルト公演のゲネラルプローベにはロジャー・ノリントンが駆けつけ、この困難な仕事を引き受けた湯浅卓雄の手腕を極めて高く評価し、その見事な演奏ぶりを賞賛した。 ウィーン交響楽団の本拠地でもある ウィーン・コンツェルトハウスは29年前、湯浅卓雄がウィーン・トンキュンストラー管弦楽団を指揮してデビューしたところである。 ウィーン国立音楽大学の一部の教室などが併設されたこの建物には修行時代の思い出が溢れている。 何より彼がその日使用した楽屋こそが、その昔、往年の偉大な巨匠達に教えを乞うべく訪ねた場所であった。 楽曲分析理論の大家で アバド、メータなどの名指揮者を育てた名教授 ハンス・スワロフスキーの最後の弟子として、その理論を叩き込まれた。その教えは未だに湯浅卓雄の楽曲解釈のバックボーンとなっている。ウィーンで培った最大の財産である。 ところで、ブルックナー、ブラームス、マーラーなどのシンフォニストを世に出したという自負のあるウィーンっ子にとって、イギリスの作曲家エルガーに対する認知度は未だに低い。 エルガーの才能を最初に世界に紹介したのはR.シュトラウスやマーラーだったが、最大の理解者として見逃せない存在がウィーン宮廷歌劇場やウィーン・フィルの楽長であった大指揮者ハンス・リヒターである。 リヒターはブルックナーの交響曲 第8番やブラームスの交響曲 第2、3番などの初演を行った歴史的大指揮者であるが、エルガーに対しても非常に強い理解と共感を示し、ドイツ・オーストリアの交響曲の系譜を継ぐ、その時代の最も偉大な作曲家の一人であることを見抜いていた。 ということはおそらく、正当に演奏されれば、必ずドイツ・オーストリアでも評価が得られるはずである。 事実 リヒターは生前、ベルリンやウィーンなどでエルガーの交響曲を指揮して大成功を収めている。にもかかわらず、その後は未だに・・・・という状況が続いている。 そんな街ウィーンでイギリスのオーケストラとともにエルガーを演奏することは指揮者にとって一種使命感に満ちたものであると同時に危険なことでもある。 しかも、イギリスのオーケストラといえども、第2交響曲に関しては経験が少ない。 しかし、この日 湯浅卓雄による交響曲 第2番はリヒターの見識通り、『ウィーンっ子が誇る作曲家たちの交響曲』と遜色のない深い内容をもった傑作としてその威容を誇り、聴衆に深い感動をもたらしたようであった。 一人、二人とエルガーに魅了された熱心な聴衆がスタンディング・オヴェイションを行う。 舞台では楽員達が何度も何度も湯浅を賞賛し続ける。 とても終わりそうにないその光景を、突然湯浅は遮り、アンコールとして『エニグマ変奏曲』の『ニムロッド』を演奏。その後はさらに長い喝采の時が続いた。 見事な凱旋であった。 久しぶりの湯浅のウィーン登場を聞きつけた楽屋に現れた訪問者達も口々に"初めて聞いたエルガーのシンフォニー"に深い感銘を得たことを述べていた。 そんな最中、BBC NOWの楽員代表らが指揮者室に登場! 何と『楽員全員の湯浅への賞賛の寄せ書き』と『シャンパン2本!!』を贈呈し、湯浅との突然のツアーがとても幸福であったことへの感謝の気持ちを伝えた。 ところで、エルガーはこの交響曲の冒頭に次のような詩を記している。 『まれにしか、まれにしか来てくれぬ。 汝、喜びの精霊よ!……………』 エルガーはこの第2交響曲とヴァイオリン協奏曲を『自らの魂の巡礼』と述べている。 『喜びの精霊』こそが解釈の『謎』を解く鍵なのだろう。 そういえば、かつての住人、湯浅卓雄も今やウィーンの人々にとっては『まれにしか来ぬ存在』である。 ウェールズのオーケストラも、エルガーの交響曲もまた然り。 そして、この日 会場に居合わせたウィーンの人々のもとには、きっと『喜びの精霊』が舞い降りていたに違いない。 (Y.K.) |
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BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団 ドイツ・オーストリア演奏旅行(指揮=湯浅卓雄) 演奏曲目(2パターンを公演地により差替) ●ウェーバー:『オベロン』序曲 又は ロッシーニ:『セミラーミデ』序曲 ●モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 又は サン=サーンス:ピアノ協奏曲 第2番 (ピアノ:マルク・アンドレ・アムラン) ●エルガー:交響曲 第2番 又は ラフマニノフ:交響的舞曲 【公演日時・会場】 4月 9日(土)20時 フランクフルト・アルテオパー (ウェーバー、モーツァルト、ラフマニノフ) 4月10日(日)20時 カールスルーエ・コングレスツェントラム (ロッシーニ、モーツァルト、ラフマニノフ) 4月11日(月)19時 シュトゥットガルト・リーダーハレ (ロッシーニ、モーツァルト、ラフマニノフ) 4月12日(火)20時 ヴュルツブルク・コングレス&ツーリスムスツェントラーレ (ウェーバー、モーツァルト、エルガー) 4月13日(水)20時 エルランゲン・ハインリヒ−ランデス−ハレ (ウェーバー、サン=サーンス、エルガー) 4月16日(土)19時30分 ウィーン・コンツェルトハウス (ウェーバー、サン=サーンス、エルガー) |
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