コジママーク コジマ・コンサートマネジメント  
 東京:03-5379-3733/関西:06-6241-8255 (平日10:00〜18:00/土10:00〜15:00/日祝休業)

 
 フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ インタヴュー

録音

――なぜ《ゴールドベルク変奏曲》を初レコーディングの曲目に選ばれたのですか。グレン・グールドへのオマージュとも聞きましたが、それ以外にも理由はありますか?

私が初めてゴールドベルクBWV988を演奏したのは2000年の秋、バッハの没後250周年の年のことでした。そのシーズンの終わるころにはかなりの回数を弾きこんでいて、これはレコーディングができる、と考えました。そんなときにポーランドのクラクフで私のレコーディングに興味を持ってくれているプロデューサーに出会い、さらに次の週にはワルシャワに赴き、フィルハーモニック・ホールでレコーディングを行っていました。このレコーディング自身はグレン・グールドへのオマージュといった意味はありませんでした。でもこのCDのリリースされる日がグールドの没後20周年に当たる、と気がついたとき、やはりそのことは明記すべきではないか、思ったのです。多くの方々がグレン・グールドを通してゴールドベルクを知ったのは、事実ですから。

――あなたにとってグレン・グールドとは特別な存在ですか?

彼は洞察力と創造性に富んだアーティストです。ピアノに向かう彼は作曲家とも言えますし、クラシック業界における最初で(唯一の?)レコーディング・アーティストと言ってもよいかもしれませんね。

――グールドは「ライブ・コンサートは死んだ」と言いました。あなたはレコーディングについてはどのようにお考えですか?コンサートとレコーディングの違いは何でしょう。

グールドにとっては聴衆の前で弾くことは苦痛だったのでしょう。彼は神経質でしたし、他者と隔絶した存在でした。そぐそばに他人がいること、そのこと自身がわずらわしいものだったのです。そんな彼だからスタジオの中の方が良い仕事ができると考えたのでしょう。でも私はその考え方には同意しかねます。私にとって聴衆、そしてステージは不可欠であり、愛してやまない存在です。レコーディングはコンサートの模倣ではあり得ず、まったく異なる存在なのです。コンサートは一回きりのもので、その演奏は留まることなく流れていきます。それに対してスタジオにおける演奏はひとつのプロセスです。作品としてデザインされ、磨き上げられるものであり、そのために映画のように編集も行われます。言い換えるならば、そこに事を起こし、残さなくてはならないのです。

――新しいCDのご予定と長期的なプランについて教えていただけますか。

バッハのフランス組曲も録音が終わっていて、春にはリリースされる予定です。長期的には、バッハの鍵盤音楽はすべてレコーディングしたいと思っています。(リアリティーがないって、思われますか。でも、僕って忍耐強いんですよ。)それからフランスのレーベルと取り組んでいる電子音響音楽の実験も続けたいですね。


音楽的バックグラウンド

――あなたのクラシック音楽、テクノ音楽、そして他の音楽との出会いについて教えてください。

電子音楽を聴き始めたのは1999年のこと。その前からあらゆる音楽を聴いて育ちました。その中で電子音が、幼い日々に聴いた音楽と共鳴しあったのかもしれません。その後、ミニマリスティックな音楽とグルーヴィーな感覚から生まれた音楽が私のピアノにおける即興と作曲に大きな影響を及ぼしていると気づき、アコースティックな(クラシック)音楽と電子(実験的な)音楽を結びつける試みが始まりました。この実験的な試みは今でも続いています。

――あなたはさまざまなジャンルの音楽からインスピレーションを受けていらっしゃるようですが。たまたまそのようになったのですか。それとも意図的なものですか。

そうですね。なるべくしてなったと言うべきでしょうか。私はヴィヴァルディやラヴィ・シャンカール、ピンク・フロイド、そしてワーグナーを聞いて育ったのですから。

――あなたの音楽活動において最も大きな影響を与えたものは何ですか。

いろいろあります。その中のひとつが家にあったピアノです。それは古いアップライトのベッヒシュタイン製のピアノで、まさに最初から身近に存在し、かつ誰も私にそれを強要することはありませんでした。それから私自身の好奇心。新たなものを見つけ出したり、知らない世界を探求したい、そんな本能的とも言える欲求を私は持っています。そしてさらには、私が進むべき方向性を見出す上で、常に励まし続け、力づけてくれた人々、友達、そして先生方と出会えたことも大変に幸せなことでしたね。


作曲家

――あらゆるジャンルの中で好きな作曲家は誰ですか。

それは難しい質問です。現時点ではヨハン・セバスチャン・バッハと言わせてもらいましょう。それともジョン・ケージかな?

――バッハはあなたにとってどのくらい特別なのでしょうか。

すごく特別、、、、。

――“ザ・ニュー・バッハ・プレイヤーズ”はどのような目的で結成されたのですか。バッハの作品以外のものを演奏する機会はあるのですか。

ザ・ニュー・バッハ・プレイヤーズは私が2001年に結成した室内楽オーケストラです。その趣旨は、バロックのフレージング感覚を保ちながら、バッハの音楽を現代楽器で演奏することでした。でも2度目のツアーではヴィヴァルディを取り上げ、さらに3度目のツアーでは現代作曲家の作品を演奏しました。ですから質問の答えはイエスです。バッハ以外の音楽も演奏します!

――あなたのレパートリーの中にはベートーヴェンやモーツァルトがないようですが、それには理由はあるのでしょうか。

ベートーヴェンもモーツァルトもレパートリーに含まれています。ただ、決して多くないことは事実ですが、とにかく無いわけではありませんよ。ピアニストなら誰だって、これらの作曲家を無視することはできません。そうでしょう。ベートーヴェンのソナタを10作品、モーツァルトのソナタを10作品ほど弾いています。でもベートーヴェンの作品は演奏会のプログラムには入れません。現在の私の選択肢にはベートーヴェンは入いらないのです。もちろん多くのピアニストにとっては不可欠な選択肢であることは十分知っています。でも私にはそれは当てはまらないだけのこと。でも、モーツァルトは時折楽しんで演奏しています。

――あなたのフレスコバルディの編曲は大変に興味深いものでした。バッハの編曲をなさる予定はありますか。もし編曲をなさらないのならば、何が違うのでしょうか。

実際のところ、フレスコバルディの作品を編曲したことはありません。私は彼の作品の解釈をし、演奏しただけです。音楽はまさに楽譜の中にあり、それは編集され、2段の五線譜に書き直されてさえありました。彼の自筆譜は本当に魅力的です。彼は楽譜を通してストラクチャーにおいてはいかに自由であるべきかを語っています。さらには、バッハの音楽には編曲は必要ない、と言うのが私の考えです。それ自身がひとつの宇宙であり、すべてはそこにあり、そしてそれは演奏が可能なのです。確かにカンタータのコラールの編曲は幾つかしたことがあります。でも個人的にはいわゆる鍵盤音楽を演奏したいと思っています。

――レパートリーに対するあなたの基本的な考え方について教えてください。

そうですね。おそらく、私はとても古いものと、とても新しいものが好きなのだ、と言うべきでしょうね。でも、ときどきとても変わったものや主流からずっと離れたものを好む傾向もあります。

――演奏するときにテクノとクラシックでは感覚(センス)は異なるのでしょうか。

そもそも芸術において感覚(*センス、この場合、彼が質問者の意味する“センス”と理解したのか、“意味がある”と理解しているのか、これだけでは判断できませんでした。)って存在するものでしょうか。ジョン・ケージは、芸術とはまったく実用性がないからこそ力強く、美しいのだ、と言っています。演奏を通してある特定のメッセージを伝えたいとは考えません。私はただできるだけ深く音楽の中に入り込み、そしてまた同時に周囲の状況から隔絶したところに自らを置こうと試みているのです。このようにしてこそ音楽は創造的なのです。

――日本ではクラシック音楽ファンとテクノ音楽ファンとでは大きく違います。ヨーロッパではどうなのでしょうか。そしてこのような状況についてはどのようにお考えになりますか。あなた自身の中では違いはあるのですか。

クラシック音楽を好きな人々とテクノ音楽を好きな人々との違いがどこにあるのかを検証できたら本当に興味深いと思います。私自身はどちらも大好きです!一般論ですが、人とは異なる音楽を発見することに閉鎖的ではなく、好奇心を持った存在だと思っています。そもそも音楽にレッテルを貼ってしまうのは人為的な行為であり、音楽とは音楽以外の何ものでもないのです。もしアーティストが音楽を通してコミュニケーションを取れるのであれば、それがたとえピアノ・リサイタルであっても、DJセットを通してであってもかまわないと思います。そういう意味ではピアノはひとつのツール(道具)に過ぎません。私が愛する音楽を奏でるのに用いるツールであり、それで人々の心に触れることができたら幸せです。その音楽がクラシック音楽か、テクノ音楽か、は大きな問題ではありません。


他のアーティスト

――あなたの好きなアーティストを教えてください。そしてあなたに大きな影響を与えたアーティストも教えていただけますか。作家、俳優、哲学者等、ジャンルは問いません。

私が最も好きな作家はトーマス・ベルンハルトです。彼の作品は日本語にも訳されているはずです。『破滅者』はグレン・グールドと彼のゴールドベルク変奏曲のレコーディングを著しています。この本と出会ったとき、私はおそらくまだ若すぎたように思います。でもこの本をきっかけに私はトーマス・ベルンハルトの小説はすべて読みました。

――他のジャンルのアーティストとのコラボレーションには興味はお持ちですか?たとえばダンサーとか、映画とか。

ええ、他の分野の芸術家との仕事は多くのインスピレーションの源となります。実際、幾つかの短編映画のために作曲をしたこともあります。そしてこれは今後もどんどんやっていきたいと考えています。


作曲家として

――作曲家と演奏家、どちらがあなたにとって自然なのでしょう。

作曲することと演奏することは意識としては同じものなのでしょうか。
ピアノを演奏し始めると、私は常に即興をし、同時にスコアに書かれていることを演奏します。ですから、どちらも私にとっては自然なことであり、ゆえに私の意識下では違いはない、ということになりますね。

――ではご自身が作曲した作品を弾くときと、他の作曲家が作曲した作品を弾くときでは違いはありますか。

理想を言えば、違いはありません。他者の書いた作品であれば、できる限り自分の中に取り込んでその作品と一体化しようとします。そうすることで初めて私は真の自由を得て演奏をすることができるのです。

――オペラを作曲することには興味をお持ちですか。

また、もし作曲をするとしたらどのような作品を作曲したいですか。
正直言って、オペラはあまり作曲したくありません。オペラは過去の形態です。ワーグナーの総合芸術(Gesamtkunstwerk、ゲザムトクンストヴェルク)はそのクライマックスでした。一方、ブロードウェイのミュージカルはプッチーニの・オペラのスピンオフ、つまりそこから派生的に生まれたものです。確かに20世紀においても重要なオペラは作曲されましたが、それらとて19世紀の劇的な経験に基づくものでしかないのです。

――あなたの音楽には社会的なメッセージはこめられていますか。

それは私が言うべきことではないかもしれませんが、答えはイエスです。私は自分の音楽がある特定の人々ではなく、多くの人の心に届いて欲しいと願っています。でもこれって、言うは易し、行うは難し、ですね。先日、刑務所や老人ホームでコンサートを行う、といった社会的なプロジェクトを行っているバルセロナの地元のオーケストラの人たちと話しをしたのですが、私自身もある時期が来たら、このような活動に関わりたいと考えています。

――ではあなたのアーティストとしての目標は何なのでしょう。

演奏すること。


日本ツアー

――今回の日本ツアーのプログラムの意図について少しご説明いただけますか。

私のプログラムは、二つの大きなレパートリーに焦点を合わせています。ひとつはバロック(バッハ)であり、もうひとつが現代音楽(ストラヴィンスキーと私自身の作品)です。さらにもうひとつの重要な要素がダンスです。(バッハの組曲はそれぞれ異なる舞曲の楽章によって構成されていますし、ストラヴィンスキーのペトルーシュカはもとはバレエ曲でした。)ハイドンの変奏曲は古典であり、前半は中断なしで続けて演奏されます。これは2つのターンテーブルとミキサーを用いて演奏するDJのような感じです。私は一見とてもかけ離れているように見えるレパートリーが実はとても自然に共生できることを皆さんにぜひ体験していただきたいのです。これは私の音楽観にも通じるものであり、私からすれば伝統と創作の間にギャップは存在しないのです。すべては音楽と言う名の、同じプロセスの一部に過ぎません。

――ご自身の作品の題名についてご説明願えますか。

Hello(ハロー)は現在も進行中の作品です。最初にレコーディングを行ったのは2005年
のことでした。その後、多くのリサイタルのオープニングに演奏してきました。このタイトルはデトロイトのプロデューサー、ケニー・ラーキンが1994年に発表した曲に由来しています。この作品はかなりの部分を即興的な構成に負うもので、コンサートのたびに変化します。強弱は多様ですが、和声はそうでもありません。
Nach Wasser,Noch Erde(水を求めて、それでも地球)は、未来の地球の状況、つまり、水不足に直面した惑星地球を映し出す作品です。それは瞑想であり、“停滞”対“動きや流れ”の概念に分け入るものです。
これらの作品はともにミニマリズムであり、物語を語ると言うよりも、作品そのものが物語です。それは何時間でも続けることが可能、、、。

――バッハの4つのデュエットはとても不思議な作品ですが、なぜこの作品を選ばれた意図を教えてください。

確かに本当に不思議な音楽ですよね。タイトル然りです。なぜバッハは一人の人間のためのデュエットを書いたのでしょう。それは一人の人間には2本の手があるからです。バッハは左手と右手を最大限に自立させて演奏することを求めているのです。その言語はかなり半音階的であり、まさに実験的(エクスペリメンタル)作品と呼ぶにふさわしいものだと思います。その他……最後にちょっと個人的な質問

――まず趣味を教えてください。

私は熱狂的なサイクリストです。ジョギングも水泳も定期的に行っています。天文学も好きですし、進化生物学、そして文学も好きです。質の高い映画を見るのも楽しいですね。でも実際には、母にもよく言われるのですが、かなりの時間を台所で過ごしているんです。――お料理は好きですか。どんな食べ物が好きですか。
お料理は大好きです!作るのはイタリア料理が多いですね。特にパスタは得意です。それからスパイシーな食べ物が大好きですし。最近、揚げだし豆腐を初めて作ってみました。すごくおいしかったですよ!

――休日には何をして過されますか。長い休みが取れたときにはどのように過されますか。

ここ数年、長い休みはほとんど取れていません。今年こそ取れるかな?どこか島に行きたいと夢見ているのですが。

――聴衆としてコンサートやクラブには行かれますか。どんな風に楽しまれていますか。

コンサートには時々行きます。本当に興味を持ったプログラムがあったときとか、友達がコンサートを行うときです。

――映画、読書、あるいは絵画鑑賞はお好きですか。もしお好きでしたら、具体的にどのようなものが好きか教えてください。

本(書籍や記事も含めて)はかなり読みますし、ハイパーテキスト(インターネット)も、、、それから映画はもしかしたら現代における最も偉大な芸術形態のひとつかもしれません。

――朝型人間ですか、それとも夜型ですか。作曲や練習は朝になさいますか。それとも夜ですか。

私は朝に鳴く鳥であり、夜型のふくろうでもあります。言い換えるなら、睡眠時間が短いタイプなのです。でも最高の練習時間は朝一番、エスプレッソを飲んだすぐ後です。

――名前を、おそらくジャンルに応じて、使い分けていらっしゃいますか。シュリメの他にもチコとか、見つけたのですが、日本ツアーではどのように表記したらよいのでしょう。

フランチェスコ・トリスターノ・シュリメが現在のところ、良いかと思います。

――日本のものではどのように物に興味をお持ちですか。

たくさんあります!和食は大好きです(sushi-sensai[*この名前の回転寿司レストランが存在しますが、どう意味で使われているのか、わかりませんでした。]は本当にすごいですね。)日本語も大好きです。私は忍耐強いのでいつか日本語の勉強を始めると思います。黒澤、小津を始めとする日本映画も好きで、映画の授業を履修して大島渚氏に関する研究論文も書きました。(『太陽の墓場(1960)』や『白昼の通り魔(1966)』は傑作中の傑作です。)その後、北野武の作品とも出会いました。それからビデオゲームのファンでもあります。プレイヤーとしては決して上級者とは言えませんが、ビデオゲームの歴史、道具類一式、人工的に作り出された事象、中でも8から16ビット時代のゲームはとても興味深いですね。

――日本の聴衆にメッセージをお願いします。

再び日本に伺えるのは本当に幸せなことです。2001年の日本旅行は私の人生の中でも最も美しい旅行のひとつでした。(一ヶ月間日本で過し、九州の阿蘇山まで行きました。)この最初の体験はあとから思い返してもすばらしいもので、それ以来あのすばらしい文化とその偉大な精神、さらにはそのすばらしい食べ物、を再び訪れたいとずっと思っていました。皆さんが今回の私が作ったプログラムを楽しんでいただければうれしいですし、さらにはそこに何か新しい音楽を見出していただければ幸いです。そのためにも是非偏見のない耳で聞いてください!そうすれば心はついてきます。

フランチェスコ・トリスターノ


訳:久野理恵子
* 印は訳者による注釈


公演詳細に戻る