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「漆原 朝子のシューマン」ライブ・レコーディングCD評 | ||||
Schumann Violin Sonata No. 2 , 4. mov. "Live Recording" レコード芸術8月号 新譜月評 室内楽曲(平野 昭、高橋 昭 ) 【推薦】このところ近現代の作品で新境地を見せていた漆原朝子がシューマンのソナタで傑出した演奏を繰り広げている。昨年(2002年)6月に神戸で行なわれたコンサート・ライヴだ。シューマンのヴァイオリン・ソナタは時代的にも様式的にも確かにベートーヴェンとブラームスの作品の中間にあって、ともすると見落とされがちだが、そうした前後の作品と一味もふた味も異なる独創的なヴァイオリン音楽の世界を作っている。録音も決して多くないし、演奏会で取りあげられる機会も多くない。そうしたわけで一般的な人気もいまひとつというところがあった。しかし、漆原がピアノのベリー・スナイダーと組んだ今回のすばらしい演奏はこれらの作品の再評価を大きく促すことになるだろう。 3曲のソナタはいずれも短調で、晩年の1851年から53年の間に集中的に作曲されている。第1番イ短調は3楽章の小さなソナタであるが、その内容の深さはどんな大作にも引けをとらない。楽章開始冒頭の主題提示の方法も斬新だが、そこに表わされた悲痛な表情は聴く者の心を瞬時に惹きつける。漆原の作品への深い共感が伝わってくる。本当の緩徐楽章を持たないこのソナタの第2楽章アレグレットで漆原は両端楽章とのコントラストを明確にするかのように、やや緩徐なテンポで落ち者いた主題を歌う。しかし、決して叙情的な緩徐楽章の美しさを作ろうというのではなく、真の解決を諦めたように静かに楽章を閉じる。「生き生きと」と指定された終楽章から伝わってくるのは、幾分スケルツォ的表情と、何か不条理なものに対する精一杯の抵抗のような落ち着きのない音楽。中間部でややテンポを緩めて落ち着くかに見えるが、これも長くは続かない。第1楽章に指示された「激情的な表情をもって」という言薬の奥に隠された「悲痛な感情」を漆原は読み取り、それが全楽章に及んでいるという解釈を見せている。 第3番イ短調、これは4楽章構成だが、その後半の2つの楽章は本来は、ブラームスやディートリヒと合作した、いわゆる《F・A・E・ソナタ》の第2、4楽章からの転用だ。各楽章規模としては第1番同様にコンパクトだ。漆原の曲作りは、中間の短いスケルツォとインテルメツツォで比較的軽やかに性格的コントラストを強調することで、両端楽章の重厚さ、内容の深さを明確に浮かび上がらせるという解釈のようだ。やや緩徐な導入部で提示される第1楽章開始の主題表情のスケールの大きさと音の身振りは圧倒的だ。一般的にオーボエあるいはクラリネットで演奏されることの多い《3つのロマンス》が3曲の短調ソナタが並んだカップリング(プログラム)の中では気分を和らげてくれる。第2番ニ短調は30分を超える大作。圧倒的な力強さと二重奏としての室内楽的せめぎあいによって高揚する醍醐味は抜群だ。第1楽章開始のピアノに一歩も引けをとらないヴァイオリンの重奏和音の表現力の強さがこの作品のもつ底知れない生命的エネルギーを象徴しているようだ。こうした高揚感は終楽章にも 聞けるが、漆原のヴァイオリンの美しさは、不思議な印象を与えずにおかないピッツィカート和音奏で始まる第3楽章の静かな重音弓奏でもあますところなく発揮されている。 〈平野 昭〉 【準】シユーマンのヴァイオリン・ソナタは3曲あるが、演奏・録音されるのは第1番と第2番にとどまっている。それは第3番が元来、《F・A・E・ソナタ》として知られるプラームスとディートリヒとの共作のために書いた2つの楽章に新しく2つの楽章を加えて再構成されたためであろうが、シューマン本人の作品であることに間違いないのだから新しい姿で再認識することができるのは歓迎すべきことである。 このイ短調ソナタはシューマンの感情の激しさを反映した作品だが、漆原は音色の面でも解釈の面でも作品が要求するものに正確に対応して明快な演奏を聴かせる。特に第2楽章では緻密な音で表情を細かく変化させながら、すっきりした演奏の中でニュアンスを生かしている。それと対照的に第4楽章では表情を大きく変化させながら強い緊張感を生み出している。 3曲を通して漆原の音は常に緻密で、それがこまかな表情の変化と結びついて音楽の輪郭を明確に浮かび上がらせており、また引き締まった表情と柔らかな表情を微妙に交錯させて、音楽に反映されたシューマンの感情の細かい「ひだ」を生かしている。バリ−・スナイダーのピアノも好演。 ソナタのほかに《3つのロマンス》作品94が収録されていみが、漆原は第1曲の繊細な感情を美しい音で演奏しており、また第2曲の素朴で暖かい感情と、第3曲の抑えた情熱が燃焼するプロセスを十分に生かしている。 〈高橋 昭〉 盤鬼、クラシック100盤勝負! (平林 直哉/青弓社) 漆原朝子は約二十年前から聴いている。コツコツと地道に積み上げるタイプの彼女ではあるが、ちょっと地味すぎるというか、もっと突き抜けたところもほしいと感じることがあった。しかし、このシューマンの『ソナタ』のジャケット写真を見ると、なんだか非常に肩の力らの抜けた、とてもいい表情をしているな、と思った。これはもしかして、演奏にもそれが反映されているのではないかと予想したが、実際、全くそのとおりだった。 『第一番』はやや遅めのテンポで、甘い夢や内に秘めた情熱、美へのあこがれ、あるいは恥じらいやためらいなどをはらみながら始まるが、これこそシューマンの世界ではないか。漆原は安定しているとか曲想の描き分けがうまいとかではなく、作品そのものに溶け込んでいるといった感じである。それだけ、どこの部分を切り取っても不自然とか作為的といった場面が皆無なのだ。さらに、温かな包容力やほのかで上品な甘みもあふれ出ている。また、ソナタの途中に入っている『三つのロマンス』も胸に染み入る名演である。スナイダーのピアノ伴奏もすばらしい。ヴァイオリンに影のようにピタリと寄り添う呼吸の見事さもさることながら、ヴァイオリン同様に十分に練り込んだ実のある響きは特筆もの。 二〇〇二年六月、神戸でのライヴ収録だが、スタジオ収録といってもいいくらい響きが豊かだし、ヴァイオリンもみずみずしくとらえられている。 音楽の友8月号 Disc Selection of The Month (今月のディスク) 漆原朝子がべリー・スナイターのピアノとの二重奏でシューマンの3曲のヴァイオリン・ソナタ」と「3つのロマンス」を好演している。 「ロマンス」は一般的にオリジナルのオーボエあるいはクラリネットで演奏されることが多いが,シユーマンはヴァイオリンでも可としていた。木管楽器で聴くのとは一味違ったシューマンらしい小品の美しさが際立っている。そして1851〜53年の晩年に書かれた3曲の短調ばかりのソナタで.各楽章のもつ性格的表情を丹精に弾き分けながら,同時に作品全体を貫く潜在的な気分によって統一感あるソナタとして仕立て上げている。3曲のソナタの中では第3番の「イ短調」がもっとも力強くシューマンの複雑な心境から生まれたであろう激しい情熱さえ窺える。曲作りのスケールの大きさでは第2番の「二短調」の開始楽章冒頭もひけをとらない.激しいものと静謐なものがコントラストを成すシューマン音楽の本質を見事に彫琢している。 (平野 昭;選評) 音楽現代8月号 今月の3枚のCD、室内楽曲、器楽曲 昨年六月に神戸の松方ホールで行われた漆原朝子とべリー・スナイダーによるシューマンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会のライヴ録音が発売された。第一番の冒頭から、漆原のヴァイオリンの音が、何とも言えない憧れとロマンティックな気分を豊かにはらんでおり、即座に引き込まれてしまう。聴き進んでも少しもそれは減じられることなく、全曲を感銘深く聴くことができた。決してスケールは大きいわけではないが、楽器を無理なく鳴らしながら、音をつないでゆくと言うより、まさに語りかけるような表情に貫かれており、素直に心に染み込んでくる。それはピアノのスナイダーも同じで、まったく同質の音楽を奏でており、実にニュアンス豊かで惚れ惚れしてしまうほどである。ソナタのほかに「三つのロマンス作品九四」も収録されているが、これもオーボエで演奏されるより、ずっと味わいのある内容となっている。現在の漆原の充実を示す一枚と言えそうである。ライヴ録音ながら、ほとんど会場ノイズが拾われていない点でも集中しやすい。 (=推薦) (福本 健 音楽評論家 選評) 2003年7月18日読売新聞・夕刊 シューマン ヴァイオリン・ソナタ全曲 漆原朝子がスナイダーのピアノを伴い、3曲のソナタと「3つのロマンス」を収録。 しっとりと落ち着いた演奏。楚々とした情緒が漂う。他方、音楽的主張は明確だ。演奏家としての目ざましい充実である。 【池辺 晋一郎(作曲家)、西村 朗(作曲家)、丹羽 正明(音楽評論家) 各氏の合議による選評】 |アーティストニュース|トップページ| |
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