Res Musica 誌 評:ジャン-クロード・ウロー 2016年8月26日
2016年8月 ルベロン・カルテット・フェスティバル(南仏)
プラジャークが最高の状態を取り戻す
(略)2014年※11月のラ・ボールでの演奏で我々は、プラジャークの当時の第1ヴァイオリン奏者パヴェル・フーラがカルテット全体のバランスを乱していることを残念に思った。その後、この第1ヴァイオリンの座はヤナ・ヴォナシュコーヴァに引き継がれた。ヴォナシュコーヴァのたっぷりとしたサウンドと幅の広いヴィブラート、これはチェコの弦楽演奏に特徴的なものであるが、それが他のメンバー3人とはるかにうまく融けあっている。分けても驚嘆すべきチェリストであり、引き続き明らかに中心的役割を担うミハル・カニュカと。今日、プラジャーク以外のいったい誰が、あれだけの情熱と抒情をもってスメタナの難曲、《弦楽四重奏曲第2番》を演奏できるだろうか?しかも、失聴と精神疾患に苦しむ作曲家が要求する譜面上の指示は絶え間なく変化するにも関わらず、あれだけの説得力と一貫性をもって。他のいったい誰が、あのドホナーニの演奏機会は少ないが素晴らしい《弦楽三重奏のためのセレナーデ》作品10で、モーツァルト的要素とハンガリー風リズムのはざまの絶妙なバランスを全うできるであろうか?そして、第2楽章ロマンツァの主題を奏でるヴィオラのヨセフ・クルソニュの何たる勝利であったことか。コンサートの最後はカルテット《ラズモフスキー第2番》だったが、その演奏を聴いて、プラジャークによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、残念ながら今はもう活動していないアルバン・ベルクの全集と並び、今なお近年最高の一つであることを改めて思い出したのであった。休憩中に、聴衆が2日前に行われたプラジャークのコンサートを声高に称賛しているのが聞こえた。そのコンサートではドヴォルジャークの《弦楽四重奏曲》作品105が確かに強い印象を与えていた。弦楽四重奏の演奏とは困難かつ多大な労力とスキルを要するものであるが、一般の人々にその弦楽四重奏の現状を正確に評価する機会を与えるということも、ルベロン・フェスティバルの少なからぬメリットであろう。
※掲載元のResMusica誌では「2015年11月」としているが、これは2014年11月の間違いである。
'14.
6月12日 北海道新聞 夕刊
結成40年 まろやかな響き
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「『極めつけの』という言葉は評論家によって最も使い古された形容詞かもしれないが、この素晴らしい4人組が成し遂げた演奏を表現するのにこれほど的確な単語は他にない」
シカゴ・トリビューン
「温かみがあり、美しく魅力的でありながら、作品のテクスチャー(質感)とそれぞれのパートの流れを味わうのに十分な透明さを備えた音色である。ヴィルトオーソ的演奏であるが、その妙技だけを意識させるのではなく、優れた演奏家による音楽であると聴き手が安心していられるような演奏であった。 ・・・ 熱烈で、豊かに織り上げられた演奏である」
ニューヨーク・タイムズ
「全体を見事に把握し、本質的に音楽と一体化した上での自由さをもって演奏していた。 ・・・ メンバーは熱狂的、かつ華麗に演奏し、それでいて全く労せずして互いに同調している」
フィラデルフィア・インクワイアリー
「鮮烈で感動的な体験であった。 ・・・ 音楽作りにおいて際立った夕べであった」
ダラス・モーニング・ニュース
「ほぼ理想的」
BBCミュージック・マガジン
「プラジャークの演奏は、ガルネリ(弦楽四重奏団)の素晴らしい音色の温かみと美しさ、そしてアルバン・ベルクがもつ音の強弱のとてつもない幅広さ、そして旧イタリア弦楽四重奏団の極上のイントネーションを備えている」
ファンファーレ
「かつてのオーストリア-ハンガリー帝国のカフェやコンサートホールを思い起こさせる暖かい雰囲気」
ザ・ストラッド
「詩的で・・・力強い。 ・・・ 聴くものの襟首をぐっと掴んで動くことも許さぬような演奏であった」
ロスアンジェルス・タイムズ
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