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2010年 10/1
ドリアン・ウィルソン(指揮)
チャタヌーガ交響楽団&オペラ、力強くシーズンを幕開け


 先週、チャタヌーガ交響楽団(テネシー州)の今シーズン開幕を告げるコンサートで、客演指揮者ドリアン・ウィルソンがチボリ劇場の指揮台に登壇した。これで当楽団の新しい首席指揮者選びは2年目へと突入することになった。
 ウィルソンは大方の世界的な指揮者コンクールにおいて受賞歴をもつなど、堂々たる経歴を誇る。レナード・バーンスタインの弟子であるマエストロ・ウィルソンのレパートリーはオペラに、バレエ、そしてオーケストラ作品、それもスタンダードから演奏機会の少ないものまで、その幅の広さには感服させられる。そしてこれまでに指揮してきたヨーロッパのオーケストラの数々は注目に値する。中でもロシアの一流楽団とは深いつながりを持っている。
 この日のプログラムはフランツ・シューベルトとディミートリィ・ショスタコーヴィチそれぞれの『交響曲第5番』であった。作曲当時19歳というごく若いシューベルトにとって、『第5番変ロ長調D485』とは、彼の『悲劇的』交響曲第4番に影響を与えたベートーヴェンの疾風のごとき作品に対して抱いた懐疑を反映しているのかもしれない。この作品はホルン2本に他の木管楽器5本、それに弦楽器だけという室内楽規模の編成で書かれており、スピリットの面でも音楽的リソースの面でも抑えた印象がある。
 この曲はシューベルトの死後行方がわからなくなっていたが、40年近くたってアーサー・サリヴァン(劇作家ギルバートと組んで多くのオペラを作曲したイギリスの作曲家)によって発見される。人気の高い珠玉作であり、シューベルトの持つ優美さと美しい旋律の数々が特徴である。
 ウィルソンはタクトなしでオーケストラを導いていく。モーツァルトを思わせる旋律を優雅で円を描くような振りによって、慎重に彫り上げていた。ゆったりとした第2楽章では、オーケストラがその繊細で完璧にバランスの取れた旋律をしっかりと聴かせており、申し分のない演奏であった。ウィルソンは極めてシンプルな楽想から最も深遠な美を巧妙に引き出していたと思われる。この楽章は音楽による啓示であり、シューベルトの最も良いところが出ている。
 陽光を思わせるシューベルトと実に対照的なのが、当局の検閲を受けたショスタコーヴィチである。故国ロシアで成功の真っ只中にあった頃、自らの作品を演奏中にスターリンが席を立ったことで彼は茫然自失させられる。後日、共産党機関紙プラウダがショスタコーヴィチの音楽を非ソビエト的で、安っぽく調子はずれであると批判した。もっと旋律的で、楽天的、英雄的で大衆に受ける音楽を書くよう「強制」されたのである。
 その結果として出来上がった『交響曲第5番作品47』は、今でも音楽の大きな謎のひとつである。この作品は、作曲者自身によって「正当な批判に対する創造的回答」と表現されて、ソビエト社会における適正な価値観についてショスタコーヴィチが再教育された表われであると思われていた。しかしその後多くの音楽評論家が、この作品には隠れた反ソビエト的要素が含まれていると考えるようになっている。作曲者の意図がいかなるものであったにせよ、この交響曲はロシアで、そして世界中で大成功を収めることになった。
 この大作の演奏に、ウィルソンは今度は指揮棒を手に激しくドラマティックな振りを使って、大編成となった手勢を率いた。確かに、振り付けたような指揮では更に上を行くレナード・バーンスタインの弟子に相応しいものだった。ショスタコーヴィチの長大な交響曲はしばしば、鬱々と考え込むような部分と大言壮語的な部分の間を、或いは優しさとからかいの間を、または真剣さと皮肉っぽさの間を揺れ動く。ウィルソンは豪放にして明快、そして表現力のある定型的な指揮法で正確にリズムに乗り、ここでも完全にオーケストラを掌握していた。そして再び、この曲でも緩徐楽章(このショスタコーヴィチでは第3楽章)が、そのうごめくように高まる感情によって他の楽章を凌駕する様相であった。マエストロ・ウィルソンは、人間の奥底から湧きあがってくるような痛みや苦しみを演奏に反映させつつ、テンションの流動変化を手際よくコントロールしていた。
 騒然たる行進曲の最終楽章では、まさに突撃を指揮するようなウィルソンの姿がはっきりと現れた。精気とまとまりを失った思想を、意図的でしっかりと満足が得られるようなテンポのよい音楽作品へと均衡させていた。聴衆は割れるようなスタンディング・オベーションを贈った。今シーズン最初の客演者として登場したウィルソンは、彼が表現すべき重要な何かを持ち合わせており、そしてそれを表現する術を心得ていることを証明したのだった。新しいシーズンの力強いスタートである。

チャタヌーガ・タイムズ電子版
2010年9月22日
評:メル・R・ウィルホイット


ドリアン・ウィルソン プロフィール

雑誌掲載記事

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