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 フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ コンサートレヴュー

ウェイル・リサイタル・ホール(カーネギー・ホール):ニューヨーク
2008年2月1日
フレスコバルディ、ベリオ、バッハ、カール・ク、ジャスティン・メッシーナ、
ハイドン、シュリメの作品

フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ(ピアノ)

<雨のなかの奇跡>
 香港風の台風、バンコック風の道の洪水、地下鉄の不通、そして昨夜のイースト・ヴィレッジからカーネギー・ホールまでの重い足取り・・・すべては魅惑的なミドルネームのせいだ。何と風変わりな!26歳のルクセンブルク出身のフランチェスコ・トリスターノ・シュリメのニューヨーク・デビューがウェイル・リサイタル・ホールの完売の原因だったのは何と並外れたことだろう。聴衆がこの驚くべきジュリアードの出身者を聞くとき、すべての重い足取りや骨折りのことが頭から消えさったことを除けば。

 聴衆を呼び寄せたのは、ワーグナーを想起させるミドルネームだけのせいではない。プログラムのオリジナリティーがそれと同じくらい魅力的だったのだ。シュリメはルチアーノ・ベリオの理解しにくい初期の作品から弾きはじめ、間髪を入れず17世紀初頭の作曲家フレスコバルディの「3つのトッカータ」へと移行、そしてバッハの「フランス組曲」を演奏した。リサイタル前半の最後を飾るのに、デトロイトの作曲家カール・クライグの曲を、自身の広がりある編曲で弾いてみせた。後半も同じように斬新で、ジャスティン・メッシーナのニューヨークの4つの橋への賛歌で始まり、ハイドンのソナタが続き、そしてシュリメ独自の解釈を加えたベリオのバガテルで終わった。

 プログラムが因習を破るものだった一方で、シュリメのピアノは、風変わりなものだったにしても、無欠な楽才たちへの捧げものだった。そしてこれはオープニングのベリオの5つの変奏曲にもっとも顕著に聞くことができた。これはべリオがさまざまな要素から影響を受けていた(あるいはべリオ自身の言葉では「魔よけ」)初期作品である。この場合、それはイタリアのセリアリスト、ルイージ・ダッラピッコラであり、みなは古風な無調主義のようなものを期待していた。しかしシュリメは透明感、情感と繊細さをもって演奏したので、人々はひとつひとつの音まで味わえた。最初の一聴で、セリアルのかたまりがつねにロジカルでない場合、アーティストの指の芸術と繊細さの楽しみは決して立ち上がってこない。

 それから、なぜシュリメはフレスコバルディのトッカータにいきなり入っていったのだろうか。シュリメの説明では、彼のゴールは「時間と空間の間に、真の対話を確立する方策・・・音楽やナイトクラブ、音響やテクノロジーから学んだ」をさぐることだという。人々が無調音楽からフレスコバルディの全音階の作品への変換に驚いている一方で、それらは同じ音色と構成でもって演奏されていた。

 続くバッハのフランス組曲第4番は、他の組曲でもそうであるように、短い楽章で構成されており、ダンスのような豊かさをもって演奏された。しかし、次の作品「テクノロジー」はもっと神秘的だった。明らかにシュリメは開かれた5度のハーモニーの連続に基づき独創的でかなりシンプルな曲を取り上げたのだが、彼はそれを比較的長いが決して退屈ではない濃厚な耳の体験に作り上げていた。

 テクトニックス:シュリメのジュリアード音楽院時代のクラスメートであるジャスティン・メッシーナによって書かれたニューヨークの4つの橋は、もう一度聞きたいところだ。一つの音が最初から最後まで連続して演奏され、これが意味をなさないかと思われるようでありながら、この音の回りに構成されるものは魅力的だ。正式には、4つの橋はどの順番で演奏してもよく、作曲家は、シュリメはクイーンズボロとトリボロをひっくり返して弾いたと教えてくれた。私には想像できなかったが。

 この晩の、もっとも並外れた演奏は、ハイドンの48番のソナタだった。第2楽章は、喜びにあふれた剽軽なロンドだったが、第1楽章の変奏は、まるで小節線が一本もないかのようなものだった。もっともエキセントリックな瞬間のグレン・グールドのように、ルバート満載、驚くような休符、これは誰も測定器を見出すことのできないようなひとつの尺度だった。シュリメは明らかに彼自身の理由をもって演奏しているが、少なくとも、ひとつの演奏会が思い出深いものであれば十分で人々はこのようなハイドンをいつもは求めないかもしれない。

 最後の2つの曲は実際にはひとつづきの曲のようなものだった:「水のピアノ」というベリオの2分間のロマンス、それにつづくシュリメ自身の即興「水の後になお残る土地(土、地球?)」。このような言い方はしたくはないが、いかに美しく、たゆたうような、水のような(力を感じさせない)ものだったにしても、それは新しい時代の音楽と呼ばれるもののように疑わしげに聞こえた。シュリメは、しかし、何の謝罪もしない。彼の繊細さ、必要な場合における目を見張るようなルラード、そしてほとんど可視的と思われるような解釈は、彼の音楽への奉仕へのごほうびだ。今世紀ははじまったばかり、しかし彼が偉大な音楽家のひとりであることは確かなことである。

ハリー・ロルニック



ルクセンブルグ:フィルハーモニー 2007年12月19日

「フランチェスコ・トリスターノ・・・唯々、美しい!」

 
 フィルハーモニーで、ドビュッシーの「前奏曲」第一巻が入った異なったプログラムが2日間演奏された。ラドゥ・ルプーとフランチェスコ・トリスターノ・シユリメという2人の異なる才能の比較が興味深かった。両者の演奏は全く相違したもので、前日のラドゥ・ルプーは確かな才能のある演奏であるが、かなり冷めた、むしろ冷淡、よりシュールレアリスト的であった。そして今晩のフランチェスコ・トリスターノ・シユリメは、とても情熱的で、表情豊かな、輪郭がはっきりとした演奏で、我々を楽しませた。「デルフォイの舞姫」では軽さ、優しさ、比類なきやわらかさがある。「帆」は流れ透き徹る。「アナカプリの丘」は色とりどりの音があり、喜びがある。「雪の上の足あと」では鳥肌が立つような、和らげた悲しい音。「西風の見たもの」では怖がらせる。「亜麻色の髪のおとめ」はエレガントで、美しく、ロマンチックであった。「沈める寺」では鐘が、突然水の奥底に沈んだかのごとく聴こえた。ゆっくり開く重たい扉は、ムソルグスキーの「キエフの大門」を連想させる。それは、堂々とした演奏だった。最後にやんちゃなパックのダンスとユーモアに溢れたミンストレルの世界に我々をいざなった。
 フランチェスコ・トリスタノ・シュリメは、我々を、印象派的で、素晴らしく美しい絵のような、組曲の中に遊ばせながら、知的で感覚的なドビュッシーの作品を演奏した。
 後半、この若い芸術家はかなりリラックスして、フレスコバルディとベリオ、彼自身のCD「Not For Piano」から選んだ作品や即興演奏を休みなしに連続して演奏した。敢えて言えば・・・聴衆は<一息いれる>というクラシックコンサートの習慣を変えさせられたが、結果的には才能と芸術家の名人芸に全く魅了された。
 フレスコバルディの「トッカータ」は現代的なアクセントを持つ。次の「水を求めて、さらに土も」の即興曲へも続けて演奏された。
 フランチェスコ・トリスタノは、熱狂的な聴衆に大歓迎され、「メロディー」と「タンゴ」の2つのアンコールで応えた。

2007年12月22日Evelyne Christophe



アテネ・コンサートホール:ライジングスターコンサート

ピアノ:フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ

ライジング・スターが輝く!

 <新進音楽家の夕べ>への我々の関心は、アテネ・コンサートホールで2008年2月12日に再び確かなものになった。
 まず才能あるピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメを聴いた。この27歳の若いルクセンブルグ出身の音楽家は、後期ルネッサンスのイタリアの作曲家ジロラモ・フレスコバルディ(1583-1643)の「弦楽のための12のトッカータ」を、自身の即興を挿入した個性的で自信に満ちた演奏をした。結果として、オフィチウム(聖務日課)に近い、高度のレベルの現代音楽のコンサートになり、著名サキソフォン奏者のヤン・ガルバレクとヒリヤード・アンサンブルのそれを彷彿させた。
 この魅力的なコンサートは、ユーモアに溢れ、音楽美学の豊かな光景を想起させる旅へ我々をいざなったと確信した。続くシュリメによる即興演奏は、トッカータに繋げるために選らばれたフレスコバルディの音楽的要素を使って演奏された。

G..S.B[ELeftherotypia] 2008年2月27日



クラクフ・フィルハーモニー・ホール(日刊紙 Dziennik Polski:2001年5月24日)

ゴルトベルク変奏曲


<鍵盤上のバッハ>
 20歳のルクセンブルク人、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメが、もっとも遠大で難解なバッハ作品「ゴルトベルク変奏曲」に対峙した。数々の音楽芸術の中で、これと比べ得るものはほとんどない。ある意味で、この作品は、ベートーヴェンの「ディアベッリの主題による33の変奏曲」に匹敵する。この年のベートーヴェン・フェスティヴァルでの、ルドルフ・ブッフビンダーによる演奏はかなりの論争を巻き起こした。それはバッハとベートーヴェンの変奏曲両方を一夜で演奏するという、かなりなイベントだったからだ。この両作品に対峙するに十分な勇気と才能を持ったアーティストはなかなかいないだろう。
 火曜日、シュリメはその両方を持っていた。加えて、彼は成熟した音楽とカリスマ性を持っている。最初の一音から聴衆はその音に引き込まれた。変奏曲とそれに続いて演奏されたコラールの編曲「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」にはかなり意識した解釈がなされていた。それぞれの音符は独自の場所におかれて意義を持ち、複雑な建築物の一つ一つのブロックのようなものだった。完璧なテクニック、驚くべき音色の幅、それらはまっとうな解釈を決して飛び越えず、制御されつつも自発的な情感をともない、それらの全曲に渡る浸潤は、真に美しい解釈を生む結果となっていた。私には、最後の締めというよりも回帰に聞こえた最後のアリアのほうが、最初のアリアよりも好ましく、全曲の中で最高潮の部分は違うところだったと思うにしても、この若いアーティストによって提示されたドラマツルギーは、首尾一貫した矛盾のないものだった。
 アンコールには、私たちは再び感動的なコラールを聞いた・・・「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」につづく、かつてとても人気のあった編曲「羊たちは安らかに草をはむ」。もっともオーソドックスな考えをもつ批評家たちでさえ、フランチェルコ・トリスターノ・シュリメの弾いたバッハに異義をとなえることはないだろう。

アンナ・ヴォツニアコフスカヤ


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