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湯浅 卓雄 新聞・雑誌・インターネット 掲載記事 | ||||
湯浅卓雄(指揮)ブリテン:『戦争レクィエム』公演批評 管弦楽:ノーザン・シンフォニア ほか 合唱:英国ハダスフィールド合唱協会、トリニティ少年合唱団 会場:ハダスフィールド・タウン・ホール |
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ベンジャミン・ブリテンの合唱曲の代表作である「戦争レクイエム」が、しっかり統制のとれた素晴らしい音楽集団によりザ・セイジ・ゲイツヘッドで演奏され、そのコンサートは畏敬の念をよびおこすものとなった。 全てのものが平和と和解というテーマのために尽くした 指揮者というものは、われわれがその存在にかろうじて気づくくらいの時が最もよい出来であると言えるのかもしれない。湯浅卓雄が特に控えめな存在だと言っているのではない。彼の身振りは他のどの指揮者に劣らず流麗であるし、彼のこれまでのキャリアといえば国際的に大いに成功している。しかし、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の演奏というものは、その構成要員の力量を単純に足しただけよりも、演奏全体としての価値がずっと優れたものとなるべきである。演奏に加わるひとりひとりの貢献の大小に違いがあったとしても、そこでは将軍も一歩兵も等しくその音楽に奉仕する存在である。そして戦争レクイエムの音楽は平和と和解というテーマに尽くすものなのである。 この作品はコヴェントリーの新しい大聖堂の奉献式のために書かれ、14世紀に建てられた元の聖マイケルズ聖堂がドイツ空軍に破壊されてから22年後にあたる1962年にコヴェントリーで初演された。そして、ラテン語の死者の為のミサに第一次世界大戦の犠牲者であるウィルフレッド・オーウェンの詩が組み入れられているのだが、このオーウェン同様、ブリテンの反戦感情は今世紀にあってもその今日的な意義を何ら失うものではない。 第一次世界大戦中の将軍とは違って、湯浅は明確でなおかつ表現力の高いタクトの振りによって、それぞれの入りを指示し、また上階後方ギャラリーのクロイドン・トリニティ少年合唱団を監督しているデビッド・スウィンソンと協調しながら、彼の部隊をしっかりとまとめ、リードしていた。湯浅の周りには大編成のハダスフィールド合唱協会とノーザン・シンフォニアのオーケストラ、オペラ・ノース・オーケストラ、そして3人のソロ歌手がずらりと並んでいた。ソロ歌手たちは時にオーケストラの流れにのみ込まれることがあったものの、より静かなパッセージでは、テノールのポール・ナイロンとバリトンのグラント・ドイルによるオーウェンの戦士たちの性格描写がはっきりと説得力を持って現れ出ていた。彼らは「次の戦い」では冷淡なほどに平然としていた:「あそこで、私たちはなかよく死に向かって歩いた・・・」 ソプラノのジャニス・ワトソンは上階の前方ギャラリーで歌い、彼女の「願わくば天使の歌声」は混声合唱の輝くようなサウンドから歓喜に満ちて浮かび上がってきた。 トーマス・ホール評 ザ・ジャーナル紙 2007年4月2日付 戦争の悲嘆を雄弁に伝えるパワフルなミサ曲 ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」は、パワフルな力をもった曲であるが、最後は囁きに終わる。 最後の消え入るような「アーメン」は、この長くてドラマチックな曲中の、入念に練り上げられた他のどの部分にも劣らず雄弁に戦争の痛みを伝える嘆きの声である。そしてコーラル・ソサエティのメンバーがそのアーメンで発揮したコントロール力、声の質とイントネーションは、そこに到るまでの90分間で見せてきたどんな力量に劣らず素晴らしいものであった。 とはいえ、最後の瞬間を特別に素晴らしかったというのであれば、この当然ながら受けのよかった演奏には他にもそのように素晴らしいところがいくつもあった。演奏にあたっては、コーラル・ソサエティとこの地域の二つの優れたオーケストラであるノーザン・シンフォニア(ニューカッスル)とオペラ・ノース(リーズ)のオーケストラメンバーが共演している。 この大編成の歌い手と奏者たちを指揮したのは湯浅卓雄だが、彼の指揮によってこのレクイエムが持つ様々なムードが、苦悩や悲しみから苦味の効いたアイロニーに到るまで、完全に捉えられていた。 この作品は、少なくとも6世紀にもわたり数知れぬ作曲家たちによって曲をつけられてきたミサ・レクイエムのラテン語の詞に、第一次世界大戦中の塹壕で亡くなったウィルフレッド・オーウェンの詩が組み合わされている。宗教的な感傷に対してオーウェンがとった厳しい関係が、この「戦争レクイエム」にはなはだしい内面的葛藤を与えている。 ソリストたちの中ではテノールのポール・ナイロンがオーウェンの声を効果的に演じ、極めて感動的なこのテキストへの共感を示していた。 バスのグラント・ドイルとソプラノのジャニス・ワトソンも印象的であった。 クロイドンのトリニティ少年合唱団はギャラリーに配置されていた。子ども達は彼らの責任を十分立派に果たしていた。とはいえ、ハダースフィールドほどの地域で自らの少年合唱団を招集できないのは残念なことではある。 記事:ウィリアム・マーシャル ハダースフィールド・デイリー・エグザミナー紙2007年3月31日付 宗教は戦争を引き起こしはしない。しかしながら宗教は、人々の心に入り込んでパワーを手にしようと試みる者達が、彼らの創造主の名において殺し、傷つけるための手段を与えるのである。 まずはこれが、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の根底に横たわる主題であり、自ら宗教を持つことはなかった平和主義者ブリテンの平和への叫びである。 運命の定めか、私はこの作品を幾度となく聴いており、またその録音も数多くある中で、私も一度、録音をプロデュースしている。それでいながら、ハダースフィールド・コーラル・ソサエティによるこの度の演奏ほど深く感動した経験はほとんどない。 この合唱団は男声部が通常より大勢で、それをベースにした重く厳粛な声調を備えている。典礼文から男声ソリスト二人による戦争シーンの描写に移る際には、ディエス・イレ(「怒りの日」)の爆発的な力強さが、畏怖と戦慄の効果を十分に挙げていた。クロイドンのトリニティ少年合唱団は並外れた確実さで歌っており、それは天使の、と形容するよりは、地に足の着いた着実な演奏であった。かわってわれわれを天界へと誘ってくれたのはコーラスの中の女声であった。ジャニス・ワトソン、ポール・ナイロン、そしてグラント・ドイルら3人のソリストたちは素晴らしい出来で、ナイロンは感情のこもった歌詞にオペラ的なアプローチでのぞみ、死せる兵士の暗く運命付けられたデュエットでは男声が完璧なバランスを見せていた。 ノーザン・シンフォニアの各首席奏者は室内楽メンバーとしてまさに一流であった。そしてオペラ・ノースの弦楽セクションが時折あたふたと綻びを見せたものの、オーケストラ全体としては、手際よく伝達力のある湯浅卓雄の指揮に適切に反応していた。湯浅の作品全体への共感とペース作りは全く理想的であった。 記事:デビッド・デントン ハダースフィールド・デイリー・エグザミナー紙2007年3月31日付 |2007|2006|2005|2004|2002|アーティストニュース|トップページ| |
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